(今年観た映画の感想、前回(下半期その1)からの続き)

 

「ボーダー 二つの世界」

醜い容姿で不思議な嗅覚を持つ孤独な税関職員の女性(?)が、自分と似た旅行者の男性(?)と出会うことで、自分の出生の秘密が明らかになっていく、というミステリー、というより、不気味なムードが全編に漂うダーク・ファンタジー。途中までは、かなり興味深く、ストーリーに没入して観ていられたのだけど、主人公たちの正体が明らかになってからの展開は、違和感や疑念や不快感の方が強くなってしまった。この映画が提起しているのは、人種やジェンダーなど、マイノリティーに対する差別や敵視・迫害、そういう問題に対する抗議のひとつのアプローチなのかもしれないけど、どうもベクトルが間違っているように思える。自分の出自や生来の資質に帰属意識を持つ必要などあるだろうか。自己のアイデンティティーに縛られることが問題の根源であり、アイデンティティーからの脱却こそが目指すべき方向性ではないだろうか。そういう意味で、見終わってすごくもやもやした感覚が残る映画だった。

 

「ターミネーター: ニュー・フェイト」

SFアクション映画ターミネーター・シリーズの最新作。ジェームズ・キャメロン製作による「ターミネーター2」の「正統な続編」とのこと。ということで、3以降の展開は、すべてなかったことになってる(笑)。というか、審判の日もスカイネットも何もかもないことになってる(笑)。ま、それもこれも含めて、突っ込みどころは満載(笑)。でも、ストーリーはエキサイティングだし、キャラクターは魅力的だし、アクションは斬新で、映像の迫力も満点。メインキャストが、サラ、ダニー、グレースとみな女性なのがとてもGOOD。特に、グレース役のマッケンジー・デイヴィスのカッコよさは最高。考えてみれば、そもそもターミネーターという映画は、タイムリープ・コンセプトによるSFアクションという設定よりも、冷酷無比な男性の暴力に対して、他者への共感と優しさを持つタフな女性がいかにして抵抗し、その脅威をはねのけていくか、というのがコアのテーマとも言えるんじゃないだろうか。そう考えると、本作は、まさに原点回帰。1,2の良いとこ取りになってる。が、逆に言うと、1,2の焼き直しという印象もかなり強く、映像の新鮮さ以外は、結構デジャヴュー感も。で、これで、またこの続編からすべてやり直しってこと?(笑)

 

「ジョーカー」

今年見た映画の中で最も酷い作品。映画の概要を説明するのも不快。一言で言えば、単なるパーソナリティー障害の症例報告。それ以上でも以下でもない。上映時間中は、見たくもないものを延々見せられて、本当に時間の無駄だったと思う。当然、何の感動もないし、何のメッセージも伝わってこなかった。これ、もしかして、作り手が、格差とか貧困とか差別とか、社会問題か何かをテーマにしたいと思っているのだとしたら、アプローチが完全に間違っている。

この映画、もし主人公が「男」でなかったら、こんなストーリーは成立していない。「暴力」や「破壊」という行為の根源には「ジェンダー問題」がある、ということ。そこにまったく触れずに、何も語ることはできない。映画のビジョンとしても、完全な失敗作。

 

「アナと雪の女王2」

これも言わずと知れた、ディズニーのCGミュージカル・ファンタジー・アニメの続編。前作では語られなかった、エルサの魔力の由来とアレンデール王国を巡る負の記憶の物語が明らかになり、呪縛の解決のためにエルサとアナが冒険の旅に出る。ということで、ストーリー展開としては、前作よりもダイナミックで面白い。エルサとアナの絆の描写もなかなか。まあ、見て損はない。あえて言うと、エルサの能力発揮と派手なアクションがほとんどマーベル級(笑)、音楽は前作の方がインパクトがあったのと、あと、クリストフの歌はいらいらするほど長くてうざい(笑)。てか、クリストフ、この物語に必要?(笑)。

でも、ふと思ったのは、これ、1もそうだけど、いずれ実写化だよね。一粒で二度美味しい、ディズニーの常套商法(笑)。実写化は、ディズニーだし、マーベル・スタジオでもいいかも(笑)。

 

「サイゴン・クチュール」

ベトナム映画を観るのは初めて。1960年代から現代にタイムスリップした、アオザイ仕立て屋の跡継ぎ娘の成長を描いたファンタジック・コメディー。美人だけど、うぬぼれ屋で思い上がった未熟な主人公が、未来の悲惨な自分と出会い、母親との確執を克服し、自分自身の本当の姿を見出していく姿はなかなか感動的。ストーリーもひねりがあって面白い。演出もファッショナブル。何と言っても、主演のニン・ズーン・ラン・ゴックの多彩な表情がすごくキュート。ただ、娯楽作品としては、十分良い出来なんだけど、メッセージは割と凡庸でやや説教調。母娘の関係は、もっと深く突っ込んで描写した方が良かった。また、親友との心の交流についても、もっと比重があって良い。そういう意味では、あちこちいろいろ惜しい感じ。でも、これからベトナム映画ってのも、機会があれば、見てみようかな、と思った。

 

「ブレッドウィナー」

タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にしたアニメーション映画。女性が徹底して抑圧された社会で、逮捕連行された父親の代わりに、家族の生活を支えるため、男装して働き、やがて父親を救うため、危険を冒して行動を起こそうとする少女の物語。何という理不尽、何という悲惨な環境、そして、必死になって現実に立ち向かう主人公パヴァーナの何という健気さ、可憐さ、勇敢さ。アニメーションでなければ表現できない、独特のリアリティーに満ちている。特に、父親から伝えられた昔の物語、村人を救うために、魔王との戦いに旅立つ少年、それはやがてパヴァーナの亡くなった兄と重なる、そのストーリーと同時進行で合わせ鏡のようにイメージが共振する構成が非常に秀逸。物語は、必ずしもハッピーエンドではなく、問題の解決があるわけでもない。しかし、不条理と戦うためには、人々の心に働きかけるより他なく、そして、それは怒りではなく、言葉、物語の力を信じるしかない、というメッセージはとても力強い。

この作品、例えば、同じアニメーションで戦争を描いた邦画「この世界の片隅に」と比べれば、よく分かるように、作品のビジョンのインパクトが段違い。アニメーションの力は、本作の方がはるかに上。まあ、邦画のレベルって、何度も言うけど、所詮その程度なんだよな。って、せっかく良い映画なのに、余計な感想で蛇足(笑)。

この制作スタジオ、カトゥーン・サルーンの作品は他にもいろいろ観てみたいと思う。

 

 

こうして一年間を振り返ってみると、観た映画も、その中で特に良いと思った映画も、圧倒的に女性が主人公の映画が多い。時代がそういう状況とか、コンプライアンスがどうとか、ポリティカル・コレクトネスがどうとか、的外れな論点、そんなことはまったく関係ない。

人間性に対する洞察や芸術に関する感受性という意味で、女性が中心になったビジョンやプロットでなければ、すぐれた作品は作れない、ってことなんだと思ってる。

思うに、男性中心のビジョンによる作品、ないしは男性が主人公の作品は、「男らしさ」という価値や基調を完全に排除して作ることができないでいる。「男らしさ」という概念は、その根源にある病的な精神の歪みがもはやすっかり明らか。はっきり言って、単なる障害、足枷でしかないこのような概念・アイデンティティーの呪縛から脱却しない限り、映画に限らず、どのような作品もまともなものはできっこない、と思う。

 

ちなみに、ここ3回の記事で、今年観た映画をまとめてコメントしてみたけれど、よくあるようなランク付けや採点とか、そういうことは一切やってない。映画やドラマをランキングにするとか、一次元的・数量的な線上に評価するとか、すごく野蛮な発想だと思ってる。そういう、スポーツ競技とか勝負事・ゲームとか、順位や得点を競うのが当然のような発想は、少なくとも芸術作品や創作活動とはまったくそぐわないもの。で、そういう競争意識も、また一種の「男性的発想」じゃないのかな、と思う。ほんと、恥ずべき心性。

あ、最後はまた余談(笑)。

 

ってことで、来年も波瑠さんの主演作品を中心に、女性が活躍するドラマ・映画を楽しみたいと思ってる(笑)。