期待したとおりの余韻の深いエンディング。

通りすがりの親子の姿を寂しそうに見つめ、やがて顔を前に向けて歩いていく美月。

失ってしまった美しい思い出は幻となり、もう戻ってこない。でも、自分は自分で選んだ道を歩いていく。そのまなざしの美しさ。

 

ドラマが終わってしまって、本当に寂しい。

ずっと美月の一生懸命な姿を見つめていたかった。

いろいろな観点から、いろいろな見方ができて、深い含意のある素晴らしいドラマだったけど、自分は最初から最後まで美月の視点で感情移入して、美月の成長物語として見ていた。

だから、美月のこれからがどうなるのか、それを見ることができないのはたまらなく寂しい。

 

最終回は、美月が顕子に心をぶつけて、本当の自分をさらけ出すシーンに激しく心を揺さぶられた。特に、初めて顕子に顔を叩かれて、「痛いっ」と言って泣きながら叩き返すシーンのインパクトが凄い。

格闘の後二人で床に倒れこんで、美月に「現実」を突きつけられた顕子は、悟ったとか、目が覚めたとかいうより、ずっと手の中に大事に握りしめてきたものが、もはやダイヤモンドではなく、ただの石だと気がついた、空虚な喪失感、何かそんな感じに見えた。

浩司や松島や文恵や真紀から顕子への言葉も、幻想はもう終わりなのだ、と告げることになったと思う。

 

このエンディングは、決して安直な問題の解決なんかじゃないと思う。分かりやすいハッピーエンドでもないし、解決の先送りでもない。

また、重要なのは解決じゃなくて、ここに至るまでの美月や顕子の心の道程なんだ。

そういう意味では、エンディングはこの物語にとってそれほど重要なことではない。

エンディングに左右されないドラマという点でも、これは近年傑出した作品だと思う。

結末が分かってしまえば再び見る価値が激減するような凡百のドラマとは一線を画している。最初から繰り返し何度も観たくなる、いや、観るべきドラマだ。

 

礼美の母娘のような客観的に見えやすい問題とは違い、平穏で安定した、傍から見ていても仲睦まじく微笑ましい母娘関係の中にこそむしろ深刻な問題が潜んでいる。

「絆」や「夢」という、世間的に広く受け入れられ、一見美しい言葉の背後には、「束縛」や「支配」、「幻想」や「妄執」という深い闇が隠れている。

視聴者の慣れ親しんだ日常性に強い衝撃を与える、もう一つの「現実」をはっきり提示して、視聴者をその別世界に引き込んだ、このドラマの功績は強調してもし過ぎることはない。これこそがドラマにとっての真の「リアリティー」であり、「リアリズム」スタイルのドラマの真骨頂だと思う。

ただ、あえてこのドラマからの問題への向き合い方のヒントと言うことなら、まず第一に、娘の側の自覚と成長が何よりもコアになるということ、そして第二に、母親以外の父親や親族、知人、友人が問題を認識し、当事者である娘や母親を支援すること。と、まあ、そういうことになるんだろうな。もちろん、それは処方箋の提示でもなんでもなく、視聴者へのあくまで「問いかけ」なんだけど。

大切なのは視聴者が自分自身で問題を考えること。それを強く促すことが「リアリズム」のドラマが果たすべき本質的な役割だと思う。

 

波瑠さんのお芝居も素晴らしかった。

揺れ動き入り混じる複雑な感情を抑制から発散にいたるまで、心の成長過程を見事に表現し続けた。斉藤由貴の強烈な芝居を向こうに回しての、主人公としての難しく辛いお芝居をここまでやりきるのは並大抵のことじゃない。ドラマのイメージである「人形」いうビジュアル面でも波瑠さんの美しさに代わるものは想像できない。美月は、波瑠さんでなければできなかった唯一無二の主人公だと思う。

波瑠さんの作品にはずれはないと思ってるけど、今回は期待のさらに上の上を行ってた。

 

ドラマが終わった直後で、感動でテンションがちょっと高めだけど(笑)、「お母さん、娘をやめていいですか?」はドラマ史上に残る作品になったと思うし、波瑠さんにとっても「あさが来た」に続く代表作になったと思う。

 

それにしても、「おそろし」といい、「あさが来た」といい、この作品といい、波瑠さんとNHKの相性は抜群だなあ。民放で下手に軽くて雑なドラマに出て、視聴率どーのこーのとかマスコミにあれこれ言われるくらいなら、もう今後はテレビドラマはNHKだけでいいかも、って、ま、それはちょっと言い過ぎ(笑)。

今月のSPドラマも、来月からの連ドラも、もちろんすごく楽しみにしてる。