実のところ、あまり気はすすまなくて、観ないですまそうと思っていたんだけど、あまりに世間の評判がいいものだから、柄にもなく、観ておかなきゃいけないかな、などとつい思ってしまい、結局、先日劇場で観てきた。

 

正直、好きな映画じゃない。

全体的な印象を言うなら、もやもやと閉塞感一杯で何だか胸やけになりそうな感じ。

でも、一方で世間やマスコミや評論家がこれを絶賛するのは、何となく分かる気がする。

つまり、現代ってのは、そういう時代なんだ。

 

戦時中の厳しい、つつましく、けれど決して生彩を失わない庶民の生き生きとした暮らしのリアルな描写。それがおそらくはこの映画のコア。主人公は、マイペースでおっとりしているけど、誰にも優しく健気で、日々を一生懸命生きて行こうとする。自分の意志で選んだわけではない人生や容赦ない過酷な戦争の災禍に対しても、必死にそれを受け止め、夫婦や家族の絆に支えられて、やがて自分の運命を愛するようになっていく。

まあ、こう書くと、とても良い映画のようにも思えるけど・・・。

 

何気ない素朴でありふれた日々の生活、身の回りの人々との絆、それは実はとても脆く、そして何より大切。とかって、そういう思想(?)は、どうも耳に心地よい綺麗事としか思えない。

じゃあ、他に何があるのか。

むしろ、諸行無常、この世には何も確かなものはなく、すべては過ぎゆき、消えゆく、束の間の幻。喜びも悲しみも何もかも一瞬のこと、人間はみな孤独、右往左往しつつも、ただ黙々と生きて行くだけ。っていうなら、その方が、ずっとリアルで感動的だと思う。

実際、この映画観て、一度も感情移入しなかったし、笑いも泣きもしなかった。

世間で比べられる「君の名は。」でさえ、思わずうるうるしたりしたのに(笑)。

 

戦時下の暮らしのリアルな描写、と言うけど、そんなものは自分は信じない。

自分は両親が戦前生まれだから、祖父母や両親から、戦争の話はずいぶんいろいろと聞いてきた。悲惨な話もあれば、淡々とした話もあり、直接的な体験もあれば、間接的な伝聞や単なる憶測の話もある。それらの話には、自分が聞いていても、話し手の相当主観的なバイアスがかかっていて、必ずしもすべてが事実ではないかもしれない。正確な描写でもないかもしれない。でも、どんなに偏っていても、歪んでいても、両親らから聞いた話は、それが結局は真実なんだと思う。と言うか、戦争の真実とは、そういう形でしか存在しない。

リアルな描写なんてものはすべて嘘っぱち。歴史家が叙述する「歴史的事実」も同様。

 

なぜこの作品はアニメなのか。

アニメでなければできない描写というものがあるからだと思う。そこには、確かに実写化ではとても再現できないような、戦時下の生活や風物や景観、活動の描写がある。

しかし、アニメはどこまで行ってもファンタジーにしかならない。

戦争というだけで既に嘘だらけの別世界、アニメはそれに輪をかけての別世界。

ならば、嘘っぱちなら嘘っぱちとして開き直って、嘘でしか表現できない真実を目指すべきではないのか。

誰もがこの映画を絶賛する、その一事をもってしても、この映画は「嘘」なのではないか。娯楽作品に徹するならともかく、観客の日常性やメンタリティーと容易に地続きになってしまい、しみじみした満足感を与えてしまってはダメなのだ。

そこがどうしても納得できない。

 

戦争の実態をもっと正確に描け、などと言うつもりはまったくない。登場人物が皆被害者みたいで、加害者責任が描かれていない、と言われればそのとおり。いや、それどころか、国家に愚かな戦争遂行を許してしまった、国民(庶民)の主体性のなさ、権威主義、精神主義、集団主義を疑わない精神的風土への痛烈な批判、それもあって然るべきかもしれない。

しかし、そんなことを言い出したら、きっと映画になんかならない。

それは映画とはまったく別の次元の話だ。

じゃあ、映画で戦争を描く、っていったい何なのか。

そもそも背景や設定が戦争である必然性がどこにあるのか。

 

この映画の戦災の描写を東日本大震災やその他自然災害と重ねて見る人もいるかもしれない。何気ない普通の暮らしがある日突然奪われてしまう恐ろしさと悲しさ。その惨禍を乗り越えるための、人と人とのつながり。

んー、そういうムードにこの映画がつながっているとしたら、それもどうかと思う。

戦災と震災は、まったくの別物。決して混同してはならない。いや、庶民の目から見たら、どちらも共通点がある、とか言うなら、「庶民の目」などという、一見分かりやすそうな「常識」こそを疑うべき。

そういう世間のムードに風穴をあけるような「リアリティー」のある映画こそが待ち望まれる。

 

この映画、キネマ旬報とか日本アカデミー賞とか、いろいろ賞を受賞してるみたいだけど、ま、あえてそれに異を唱えようとは思わない。業界関係者や評論家ってのは、そういうもんだよね、と再認識するだけの話。

あらためて言うのもばかばかしいけど、賞なんて所詮はあてにならない、ってこと。