以前に刑事ドラマが好きじゃない、ってなことを書いたけど、ついでに言うと、医療ドラマってのも好きじゃない。(って、好きじゃないジャンルばかり(笑))
医療ドラマと言えば、それこそ刑事ドラマと双璧で、一般視聴者に人気の高視聴率ドラマの定番のところ、毎度の天の邪鬼で申し訳ないけど、どうも何だか好きになれない。有名なドラマで「救命病棟24時」とか「DOCTORS~最強の名医~」とか「ドクターX~外科医・大門未知子~」とか、どれもほとんど見たことがない。この冬クールの日曜にやってる某ジャニーズ・スターの医療ドラマとかも全然見る気がしない。
ただ、波瑠さんが出演してたから、「救命病棟24時」の第5シリーズだけは、早送りで見たけど(笑)。あ、あと「ヤング ブラック・ジャック」も。
 
医療ドラマに関心がわかないのは、医師という職業それ自体に潜在的なドラマ性なんて、果たしてあるのだろうか、という大きな疑問があるから。
医者は人の生き死にに関わるのだから、そりゃドラマ性はあるに決まってるだろう、とか言うのなら、その発想そのものがダメ。人間の生死に関わるから、それだけでドラマになるだなんて、それじゃまるで思考停止、あまりに陳腐で安直な発想じゃない?
医師や病院という設定にばかりよりかかってて、ドラマのテーマやプロットを深く掘り下げようという意識が希薄になっているような気がして仕方がないんだけど。
 
端的に言えば、医師にドラマなんてない、というか、ただ医師というだけでは、サラリーマンや公務員やその他多くの職業と何の変わりもない、と思う。ま、一般的に、普段から病気やけがで病院へ行って、医者と接する機会は誰にでもあるだろうけど、普通はそういう時に特別なドラマ性なんて感じないはず。医者って、要は、技術職。病気やけがという物理的な現象に対して、専門技術的な処理(診断と治療行為)を行うのがその職業の本質。人間の精神と直接関わるようなドラマ性とはもともと無縁。
 
ドラマがあるのは、医師にではなく、病人や患者にだ。生死に関わることがドラマになるというなら、その生死の主体である病人や患者こそが主人公であるべきだ。医師や看護師は本来脇役にすぎない。
例えば、手塚治虫の「ブラック・ジャック」にしても、医師であるブラック・ジャック(間黒男)は、本質的には一種の狂言回しであり、ドラマの主役はむしろ毎回のエピソードに登場する患者の方だと思う。
そうであるなら、医療ドラマというのは、刑事ドラマとほぼ似たような構造のドラマになるはずだ。刑事ドラマでは、毎回の事件、被害者と犯人がいて、その謎解きがストーリーの中心になる。医療ドラマも、毎回の患者とその家族・友人・知人がいて、病気の治療・解決がストーリーの中心になるのと同じ。で、そうなると、一話完結の似たり寄ったりのエピソードの連続になりがちで、どうしても一つひとつのエピソードは、底の浅いドラマになってしまう傾向が強い。人の生死をたった一話完結で扱おうとするなら、なおさらだ。
 
そういう医療ドラマの本質を意識してかどうかは知らないが、医師を主人公にしたドラマは、患者と医師とを無理矢理、ほとんど不自然と言えるような形で結び付けようとする。何故か医師がやたらとおせっかいで、患者の生活や人間関係に過剰に関与しようとするとか、まあ、もっと手っ取り早いのは、患者が偶然にも医師の親族だったり恋人だったり友人だったり。って、今クールの例のドラマもまさにこれみたい(笑)。
そうやって、医療ドラマって、結局何がテーマなのかと言うと、人間の生命や健康は何よりも大事、金や名誉や権力よりも、って、そんなの分かり切った当たり前のこと、耳にたこができそうなほどさんざん聞き飽きて、新鮮さなど全くないメッセージ。というか、ドラマの作り手の怠慢ささえ透けて見えてくるようで、もはや紋切り型のワンパターン、日常性や現実を打ち破るリアリティーのかけらも感じられない。
だから、医療ドラマって、どんなに技術的・専門的な医療現場の再現性を高めても、いや、そうやって、リアルさを追求すればするほど、かえってリアリティーがなくなっていく。
豪華キャスト陣が医師役をやってると、大勢でコスプレ・ゲームしてるとしか思えない。特に、医療現場の専門用語とか略語とか振り回せば振り回すほど。思わず、笑ってしまう。大上段に構えた決め台詞とか声を震わせた熱い訴えとか、どれも嘘っぽい皮相な綺麗ごとにしか聞こえないし。まさに、お医者さんごっこ(笑)になっちゃうんだよね。
 
とは言っても、例えば、刑事ドラマの「ON」で刑事の藤堂比奈子が主人公になり得たように、医療ドラマでも医師が主人公になることは当然ある。それは、その医師本人が、秘密や悩みや問題を抱えていて、それがドラマの中心テーマになる場合だ。
例えば、山崎豊子原作の「白い巨塔」。これは、出世欲・名誉欲をむき出しにした野心あふれる主人公の医師を中心に、医療制度の腐敗を追求した、確かにドラマらしいドラマだった。でも、このドラマがきちんとドラマとして成立した背景は、日本がまだ決して今ほど豊かではなかった昭和の高度経済成長時代、倫理や公正さより、なりふり構わず社会の階段を駆け上がる、そういう“モーレツ”な生き方が異常ではなかった時代ならでは、だと思う。医療技術や病院制度も発展途上で、インフォームド・コンセントなどという言葉を誰も知らなかった時代。そういう時代だからこそ、一種のピカレスク・ロマン(悪漢小説)のような強いドラマ性を付与することができたんだと思う。
だから、昭和の旧作(主演・田宮二郎)は、主人公の医師にギラギラした毒々しいまでの存在感があり、普通の医療ドラマに近づいてしまった平成のリメイク版(主演・唐沢寿朗)よりもはるかにドラマ性やリアリティーがあって、作品として優れていたんじゃないかな。
でも、さらに言えば、医療制度の非人間性や医師の倫理を問うのがテーマの場合は、やはりドラマの主人公は医師じゃなく、患者が一番良いと思う。アーサー・ミラーやテネシー・ウィリアムズみたいないわゆる「リアリズム」スタイルで、心ない医師や官僚的な医療制度に翻弄され困惑・苦悩する患者やその家族らを中心に描くべき。そして、結末はあくまで非情なバッドエンドで。でないと、ドラマのインパクトやテーマの訴求力が生まれないから。
 
と、まあそういうわけで、医療ドラマは好きじゃないし、ほとんど見ないんだけど、それでも、波瑠さんが出演するとなったら、話は別なんだな、例によって(笑)。
でも、「ヤング ブラック・ジャック」も「救命病棟24時」も、期せずして、波瑠さんは患者役になってるんだよね。特に、後者はもともと看護師役だったのに(笑)。これって、贔屓目で言わせてもらうと、要は、波瑠さんにはドラマチックな役回りがふさわしい、ってことなんだと思う。いくら綺麗で可愛いからと言って、ただ、コスプレやらせとくだけじゃ、もったいないってこと。
そういう意味じゃ、波瑠さんって、病人役とか患者役とか妙に多かった気がするな。「オルトロスの犬」とか「いねむり先生」とか「乳房」とか。「BORDER」や「あさが来た」でも入院シーンがあったくらいだし。
とは言っても、ベッドで寝てる芝居は、可哀そうだから、もういい加減やめてほしいなあ(笑)。