映画やテレビドラマの感想を書いていると、作品の出来や良し悪しとは別に、監督や脚本家や役者がどのような気持ちでこれを作ったんだろう、ということにどうしても思いが及ぶ。

特に、役者という観点では、その意識が「内省」に向かっているのか、それとも「表現」に向けられているのか、そこがとても重要な気がする。

 

ここで言う「内省」とは、役者が台本を読んで、作品の趣旨や背景を理解し、全体のビジョンを想定して、個々のシーンにおいて自分の感情がどう動くか、自分の内面に何が生まれてくるかという、分かりやすく言えば、インプットとか心の中の問題を大切にし、それを志向する意識や態度のことだ。

他方、「表現」というのは、表情や動作や台詞など、具体的なアクションをどのように演じるか、自分の言動が映像になったとき、共演者や観客・視聴者を含め他人にどのように映るか、いわばアウトプットとか外面的な表出を重視し、それを志向する意識や態度、ということになる。

 

実際に個々の役者がどちらの志向タイプかは、芝居を一見しただけでは必ずしも分からない。また、もちろんどの役者も内省と表現のそれぞれに意識があり、どちらか一方だけを志向してるわけでもない。

ただ、一人の役者の芝居を繰り返し見ていると、何となくだいたいの志向が分かるような気もする。

例えば、子役や声優を考えてみる。

子役には内省タイプがほとんどいない。当たり前のことだ。子供には十分な内省ができるほどの経験も洞察もないからだ。だから、子役はいかに与えられた役や求められる演技を上手に表現するか、というテクニックの部分がクローズアップされる。

また、声優にもそういう傾向があるように思う。声優は、自らが芝居をするわけではない。他の俳優(外国人)やアニメのキャラクターが表現したものにぴたりマッチするように声で台詞を加えるのが役目だ。だから、声優にはどうしてもテクニックが要求される。声優自身に内省がないというつもりはない。だが、内省によって自らの感情を湧きあがらせることは、下手をすると仕事の障害になるかもしれない、と思う。

(ちなみに、これを書いて後から気づいたことだが、子役出身の声優というのが非常に多いらしく、我ながら、そうなのか、なるほどな、と思った)

 

役者も子役時代から活躍しているような役者や十代から主演を数多くこなしている役者には、おおむね表現志向の役者が多いような気がする。いかに演技の引き出しをたくさん持っているか、シーンの状況や監督・脚本家の要求に合わせて様々なバリエーションの演技を巧みに組み合わせて、効果的にコントロールすることができるか、そういう芸達者な側面が役者としての評価の中心になっている。いわば一種の「職人」のようなタイプだ。演技派と呼ばれる役者はだいたいみなこういうタイプだと思う。

そう考えると、よく体当たり演技とか神がかりの演技とか言われる演技も、表現志向から生まれることが多いんじゃないかな。体当たりってのは、つまり役者の意識が「表現」に向けられている、ってことだと思う。天才肌とか呼ばれる役者にもこのタイプが多い。

一般の観客・視聴者の注目を浴びやすいのは、こういう表現志向の役者だろう。娯楽性が主体の作品であれば、特にそうだと思う。そういう意味では、コメディアンや芸人が表現志向で器用な芝居をすることが多いのも、そういう娯楽性との関連性が大きいのだろう。また、映像作品の娯楽性は、表現志向の役者の職人気質やプロ意識との親和性もある。

 

しかし、単に娯楽性だけでなく、作品に何らかの芸術性も求められるのであれば、どうしてもそこには深い「内省」がなければいけない、と思う。表面的なテクニックだけでは、芸術を生み出すことはできない。

以前、画家にとっては手より目が大切、と言ったのはそういう意味だ。内面の動機やビジョンなしに偉大な作品を創作することはできない。もちろん表現は芸術にとって単なる手段ではなく、それ自体が目的の一部でもあるから、内省に表現が伴わなければ、優れた作品にはならない。しかし、表現だけが突出して内省の希薄な作品ほど芸術から遠いものもない、と思う。

例えは適切ではないかもしれないが、デ・キリコの絵には内省があるが、ダリの絵には表現しかない、という感じ。

セザンヌの絵が素晴らしいのは、絵画の本質に対する内省の深さによるのであって、構図や描画や彩色の技法によるのではない。

モーツァルトの音楽が素晴らしいのも、それは他の誰にも聴こえず、彼の耳にだけ聴こえる自然のメロディーやリズムの美しさ、彼の頭の中で鳴っている音の美によるのだ。

 

役者も監督や脚本家と同様、芸術家になり得る作り手の一人だと思う。したがって、娯楽性の追求における表現志向だけでなく、芸術性の追求における内省志向もまた、真に優れた役者には求められる姿勢だと思う。

ここでは、特定の役者についてのコメントはあえてしない。

が、自分はいつもそういう目で役者や芸術家を見ていたいと思う。