話題の「君の名は。」を観に行ってみようか、と思いつつ、とんでもなく混んでいそうなので、まあ、落ち着いてきたらそのうちに、と思って、とりあえず旧作を観てみた。
ん、ま、なかなか良いけど。これって、完全に男目線の映画だよね。
初恋のノスタルジックな感覚を美しい自然描写とからめて、というセンチメンタルな雰囲気満点で。まあ、分かるけど、こういう気分。
確かにアニメでなければ、ここまで細部にまで神経をいきわたらせた自然描写はできないのかもしれない。
自然描写の美しさ(感動の表現)ということで言えば、たぶん次のような感じになる。
リアルな実景(直に自分の目で見た自然) > 絵画による描写 > 写真 > 動画(実写)
そういう意味では、このアニメによる表現は新鮮。
でも、実際はリアルな実景よりも、ただ言葉による表現の方が雄弁だったりすることもある。
映画の中でも、言の葉の庭というタイトルどおり、万葉集の相聞歌をプロットにしていたけど、例えば、西行の歌。
よられつる野もせの草のかげろひてすずしくくもる夕立の空
この映画の描写よりも、自分はこの歌の方が自然の本質に迫っているように思う。
そして、自然は、また人事と密接にむすびつく。
この映画の狙いも当然そこにあるんだろうけど。やはり人間ドラマの方は、いまひとつ実感が薄いかな。これでは、ちょっと軽い。雪野先生は、すごく素敵なんだけどね。
(これ、もし実写化するなら、雪野先生は絶対波瑠さんだよね)
これは、もうちょっと時間をかけてじっくり描かなくては不完全燃焼だと思う。いや、不完全燃焼をあえて意図したとしてもだ。
設定も、高校生と教師というより、もっとリアルに専門学校生と普通のOLの方がよかったと思う。年の差もそれほどない感じで。
そして、自然と人事の関係ということで言えば、やはりそこには「無常観」が根底にあるべき。
最近よくある傾向だけど、例えば、恋の歌(Jポップ)なんかで、桜と恋をからめることがあるけど、そうじゃないんだよな。桜は、人間の限りある生との関係で、その美しさの永遠性こそが歌われるべきなんだよな。かつての和歌の伝統との大きな相違。
そうでないと、自然描写の意図そのものが見当違いのものになってしまう、と思う。