テレビドラマにとって最も大切なのは、テーマでもストーリーでもなく、主人公や準主役・脇役すべてを含む「キャラクター」だと思う。

テレビドラマの成否は、そういうキャラクターをいかに魅力的に見せるかにかかっている。

 

映画や舞台と違って、テレビドラマは「鑑賞する」ものではなく、「楽しむ」ものだ。

テレビは日常の生活空間の中にあって、毎日の暮らしの延長線上にある。リビングでくつろいで、特に集中することもなく、気楽に眺める、という感じ。

また、一方で、テレビドラマには、予算や時間の面での制約も多い。豪華なセットを惜しみなく用意できるわけでもなく、毎週の放送に間に合わせるには撮影や編集に余裕をもって時間を割けるわけでもない。

だから、テレビドラマの場合、「芸術性」よりは「娯楽性」の占めるウエイトがかなり大きくなる。

娯楽性といっても、そこには当然、笑いもあり、涙もあり、面白さだけでなく、感動もある。

しかし、テレビドラマの視聴者が感動するのは、テーマやストーリーに対してではない。

そういう抽象的・観念的なものではなく、より具体的・直接的に「キャラクター」を観て、その姿に感動するのだ。

 

もちろん、キャラクターを魅力的に見せるためには、テーマやストーリーも必要だし、しっかりとしたプロットがなければならない。

脚本や演出の善し悪しは、ストーリーの面白さではなく、キャラクターの際立ち方で判断されるべきだろう。

 

で、何が言いたいのかというと、要するに、テレビドラマは、キャスティングを含むキャラクター描写が中心にならなければならない、ってこと。テーマやストーリーは、どちらかというと、副次的なものだと思う。

 

ここで気をつけなければならないのは、例えば、小説などの原作をテレビドラマ化する場合。

小説は、必ずしもキャラクター主体には書かれていない。キャラクターも重要だが、テーマやストーリーの方が中心となる場合が多い。

小説をテレビドラマ化する場合は、キャラクター中心の内容に再構成が必須となる。そうしなければ、ドラマとして成功しない。小説の内容を忠実にドラマ化しようとすると、かって落とし穴に陥る危険がある。

 

小説の愛読者がテレビドラマ化された内容に対して不満を表出することがよくあるが、それはそもそも的外れな批判なのだと思う。小説とテレビドラマは、常にまったくの別物であるべきなのだから。