自分なりにもう相当長い間生きてきて、特定の女優にこれほどまで夢中になったのは初めての経験。

あえて言うなら、非常にベタだけど、若いころ「ローマの休日」を観て、オードリー・ヘップバーンが大好きになったことはある。でも、彼女の作品をすべて観たわけでもないし、ずっと熱烈なファンであり続けたわけでもない。

また、日本人の女優となると、いや、女優以外の歌手、アイドル、モデル、その他のタレント、誰一人として、波瑠さんほど素敵だと思ったことはかつてない。波瑠さんの次に好きな女優、と言っても、まったく思いつかない。比較の対象になる人が全然いないんだ。

 

自分としても、どうしてこんなに波瑠さんのことが好きなのか、うまく説明ができなくて、すごくもどかしく思っている。自分で分からないくらいだから、家族から見ると、すごく異常に見えるんだろうな。頭がどうかしちゃってるんじゃないか、って(笑)

 

しかし、一方で、波瑠さんの魅力については、それを何とか説明して、言葉にしたい、って欲求もすごく強い。で、何とかいろいろ試行錯誤して、波瑠さんの魅力について、書いてみようと思う。

一回ではとても無理そうなので、とりあえず(その1)ということで。

 

まず、最近特に思うこととしては、波瑠さんの「引き込む力」のようなものがある。

波瑠さんが画面に映っているだけで、思わず視線がそこに引き寄せられてしまう。波瑠さんの声は、他の人の声とはまったく違って聞こえる。シーンの波瑠さんのいるところだけが特別な時間と空間になっている感じ。

でも、こういう感覚は、きっと非常に主観的なものなんだろうな。つまり、他の人が同じように思っているかどうかはまったく分からないし、感覚を共有・理解できるかどうかまったく心許ないということ。

でも、主観として、自分にそういう現象が起こっているのは厳然たる事実。

で、それが結果としてどういうことになるかと言うと、圧倒的な感情移入のレベルの違い。波瑠さんの演じるキャラクターは、自分からするとすべてドラマの主人公と同じように見えてしまう。その表情や感情の機微にまで、どんどん深く入り込んでいくイメージ。

 

例えば、この間ブログに書いた「女の子ものがたり」のきいちゃん。これ、自分の中では、きいちゃんがほとんどこの映画の主役になっちゃってる。

他のキャラクターとの違いで言うと、例えば、きいちゃんが登場していないシーンでも、きいちゃんのイメージだけは鮮やかに脳裏に浮かんでくる。

苦労している結婚生活の姿やちぐはぐなインテリアを並べている姿、喧嘩の後の寂しさ、いやこれでよかったんだという切ない思い。母親が帰郷した菜都美に話すシーンでは、病床で菜都美の漫画を読むきいちゃんの姿が浮かび、菜都美の描いた絵の前のシーンでは、娘(なつこ)と一緒に絵を見つめるきいちゃんの姿が自然と浮かんでくる。

今でもきいちゃんのことを思うと、いろいろなイメージや感情がこみ上げてきて、目頭があつくなってしまう。

 

まったくの主観にすぎないとは思うのだが、この「引き込む力」と「感情移入させられるレベルの高さ」は、波瑠さんならではのものだと思っている。