テレビドラマや映画の感想投稿サイトを見ると、やたらとキャストの「演技力」を云々するコメントが目に付く。

 

演技力って、いったい何?

コメントしてる人は、自分の言ってることの意味が本当に分かってるの?

 

俳優の誰それは「素晴らしい演技力」とか、逆に「演技力がない」とか、あるいは演技力がないという意味で「棒」とか「大根」とか。

演技力というのは、説明も何もなしに、印象だけで人を評価できて便利だけど、非常に乱暴でいい加減な言葉だと思う。ま、言っちゃ悪いが、この言葉を多用する人って、物事をあまり深く考えたことがない、というか、深く考えるのが苦手な人じゃないか、って訝しく思う。

演技力があるとか、ないとか、高いとか低いとか、一次元の単線的なものさしでしか物事を把握しようとしない。複雑で多様なことはちんぷんかんぷん。

きっとドラゴンボールの戦闘力みたいなものをイメージしてるんだろうな(笑)

 

個別具体的なシーンで実際の「演技」をあれこれ言うことはできる。

だが、そういう具体論から離れて、抽象的・観念的な「演技力」みたいなものが、役者それぞれに絶対的な能力として備わっている、などと考えるのは、あまりに短絡的な発想だろう。

 

個別具体的な「演技」にしても、それは所詮、非常にミクロな次元の些末な話にすぎない。

演技は、結局のところ、シーンにおける、一回限りのテクニカルな表現方法でしかない。

それは、そのシーンにおいてさえ、脚本や演出だけでなく、キャストの容姿や声、他のキャストとの関係、カメラワーク、照明、音声、メイク、衣装、小道具、セット、その他特殊効果エトセトラ、そういうものすべてとの相互関係の中で効果的かどうかが判断されるべきものだろう。

まして、作品全体との関係で言えば、その演技の持つ意味は、作品のテーマやプロットやトーン全体との調和・バランスを無視して議論できない。

 

だから、自分としては「演技」という言葉より、もっと広い意味を包含する「芝居」という言葉を使う方がしっくりくる。

「演技力」という言葉に至っては、内容がすかすかで空疎、何も論評してないに等しいのではないか、とさえ思う。

 

余談で、ちょっと無関係のように思えるけど、もうひとつヒントになりそうなこと。

画家にとって本当に大切なのは、手ではなく、眼だということ。