わたしのブログで定期的に人気記事に上がってくるのが、この投稿。わたしもこの投稿に書いたときの在りかたがきちんと出来ているか、定期的に見つめ直してる。
 

 

   


胸が張り裂けそうな辛い思いをすることがあるかもしれないけれど、そんな傷つけてきた相手にこそ、とびきりの愛を向けること。

 

時間がどれだけかかってもいいし、別に直接何かをしなくてもいい。

 

堂々と胸を張って、いまを存分にたのしみながら生きていくだけ。
 

 

きっと多くの人がむずかしいと感じるのが、人の道を外れたことをしたり、あなたのこころを傷つけるようなことを言ったりした人を許すということ。
 

いま振り返ってみても、相手の気持ちを汲みとろうとどれだけ努力しても「……どうしてそうなった?」という人が、わたしの人生にも少なからずいる。

 

 

もちろん、自分自身の傷が癒えていない状態で無理に気持ちを抑えつけることはしなくていいし、怒りや悲しみという気持ちも、すべて味わいきるべきだと思う。

 

けれど「この人に傷つけられた」という痛覚は、抱えつづけるほどに息苦しさや重さを感じるもの。こころのスペースをそんなやつのために空けておくのは、すんごくもったいない。

 

ただ、どれだけ慎重に判断したつもりであっても道を誤ってしまうことはあるし、反省するようなこともある。それはもう、お互いさま。

 

 

それに、人の縁ってほんとうに不思議なもので、切れたと思っていたものが時を経てまた繋がることもあるし、 時にはかたちを変えて以前よりもグッと深い付き合いができることもある。

 

わたしは正義感が強いおひつじ座らしいタイプなんだけれど、とくにパートナーなどの親密度が高い相手に関しては、それがつよく働きすぎてしまうことがあって。

 

いわゆる、元カレと友達になるとか、またヨリを戻すなんて毛頭ないと考えるタイプ。だからこそ、許すという行為はある意味この世でいちばんむずかしい「愛情表現」のように感じることさえある。

 

 

けれど、できる限りフラットな気持ちで受け入れて、相手の間違いさえも認めて、忘れてあげること。それは、雲隠れしてしまっていた相手のなかにある良心や光をふたたび信じてみることでもあって。

 

そんな「こころの余白」を持つことができたら、世界はまた違った輝きを放ちはじめるし、もっと素敵な景色が見える。だからこそ、できる限り「許せない!」という気持ちはなるべく早めに忘れられる自分でいようと心がけています。

 

Live with LOVE, Connie