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m。。m

(1)の続きです

総合的に「平安宮内裏跡」という

タイトルの説明板は

(源氏物語ゆかりの地・1番)

江戸時代から200年続く

有名な油屋さん「山中油店」の

店舗南側の通りをはさんだ

お向かいのスペースに

設置されています

 

お店の建物は国の登録有形文化財上矢印

・市の重要景観建造物だそうです

説明板はこのスペースに上矢印

<内裏は天皇や后たちの居住空間で

平安宮の中心的な施設

その構造は(・・・)外郭築地と内郭

回廊の二重構造で厳重に区画され

内部が東西約171m、南北216m

外部築地は東西約219m、南北約300m

の規模であった>

<内部の北辺には弘徽殿・飛香舎(藤壺)

淑景舎(桐壺)といった七殿五舎からなる

後宮が存在し、それぞれの建物は回廊や

透渡廊(すきわたろう・壁の無い

渡り廊下)でつながり

雅な宮廷生活が繰り広げられ

『源氏物語』の中心舞台であった>

店舗の東がわに「一本御書所

(いっぽんのごしょどころ)跡」

という後白河法皇関連の

史跡があります

あまり興味がわきませんが

武士が大活躍の平安後期に

武士VS武士の争いのために

後白河法皇がここに

幽閉された模様

法皇お疲れ様

「一本御書」とは

平安京で流布した書物を

どれも1冊書写してここに

保管していたのだそうです

内裏も火災で何度も焼亡する中

知的財産を後世に伝え守るため

そんな努力をしていたとはびっくり

どうせ燃えると

諦めなかったのね

帝が勉強したり

楽しんだりされる書物は

承香殿に保管されていました

その書庫は

「内御書所(うちのごしょどころ)

と呼ばれたそうです

承香殿には妃や女官たちの

居住スペースのほかに

帝の個人的な図書室も

あったのですね

醍醐帝の命により

古今和歌集の編さん

行われたのも

承香殿なのだそうです本

 

今回、姑・詮子が嬉しそう~に

「皇子を産むのにうってつけむらさき音符

と言った2人の姫君のうち

元子姫は承香殿に入ります

承香殿跡の碑は弘徽殿跡の碑と

同じ並びの

もう少し東にあります

この碑のある場所に建っている

宿泊施設「平安京内裏の宿」も

上の油屋さん「山中油店」さん

所有の施設のようです

後宮のあった場所で

殿舎の名前のお部屋に宿泊

できるのですねーむらさき音符

 

 

説明板には承香殿を賜った

姫についての記述も下矢印

<村上天皇女御の徽子(よしこ

・きし)女王は歌人として知られ

『斎宮女御集』がある

彼女は六条御息所のモデル

とも言われている

『源氏物語』では朱雀院妃の

承香殿女御が今上帝を産んでいる>

 

他に、承香殿を賜った姫には

宇多帝の妃であった

藤原胤子(たねこ)がいます

まだ帝でなく皇子だった時点の

宇多帝と結婚していました

胤子は醍醐帝のご生母で

三条右大臣の姉(または妹)

早逝されたこの姫君の

供養の為に建てられたのが

山科の勧修寺(かじゅうじ)です

基経の娘・温子(よしこ)

888年宇多帝に入内しますが

弘徽殿に入りました

この表紙のお公家様が基経下矢印

 

基経の娘ですから

温子は最上級の待遇

迎えられたのでしょうね

(宇多帝VS基経でもめていて

入内が和解の手段でした)

そして胤子の逝去後

温子が皇子の

養母となるのです。。。

どこかで聞いたような

展開ですね。。。

まじかるクラウンニコニコまじかるクラウンほんわかまじかるクラウンニコニコ

 

予約していたこの本が

火曜日に届きました下矢印

 

各回のあらすじが載ってます

ざっと読みましたが

① 承香殿の元子様

まさかの「名前だけ登場」

でしょうか。。。(?)

道長と女院様の会話に

出て来たので

TVに元子姫が!?

期待していたのに泣

ううう

でもまだ希望は捨ててませんあせる

前編の「たいそう富のある

お顔の四角いお方」だって

ガイドに載ってなかったし‼

ビックリしましたねーびっくり

② 和泉式部を誰が演じるのかも

載ってないしわからないよー泣

 

お読みいただきありがとう

ございましたお願い

※「承香殿」は「しょうきょうでん」と

詠む人もいます