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今回(第19回)清少納言に

導かれ、いつもと違う

華美な衣装でまひろが参内

廊下を渡っている時に

床に撒(ま)かれた

画鋲のようなピンに気付き

動揺していました

 こんなん「痛い」ですまないでしょあせる

 

清少納言が言います

「こうした嫌がらせは内裏では

毎日の事ですの!」

「私も3日に1度は

何か踏みますので

足の裏は傷だらけです!

でも、私は平気爆  笑!」と

几帳に隠れている女性たちに

聞こえるように大声で。。。

 

ピンを撒(ま)いたのは誰??

ていうか、撒かせた人は誰??

もうすでに他の姫たちが
一条帝に入内しちゃったの??

以前のブログで

載せた入内の順番ですが下矢印

 

<一条帝の妃たち>

1 990年入内 定子 父は道隆 

2 996年入内 義子(よしこ)公季

3 996年入内 元子(もとこ)顕光

4 998年入内 尊子(たかこ)道兼

5 999年入内 彰子(あきこ)道長

まひろが定子姫と帝に拝謁する

今回のシーンは

フィクションですから

その時期なんて考えても

ほんとは無意味ですが。。。

ドラマの拝謁の時期は

道長が内覧になった995年から

長徳の変(996年2月7日)

までの間になります

 

義子の入内は996年夏(7月)

元子の入内は996年秋(11月)

ドラマ今回の時期は

まだ他の妃は入内してません

定子姫だけの時期なのですね

 

もうすぐ他の妃たちが次々に

入内して来るのが

目に見えてるから

今のうちに皇子(みこ)!皇子!

とコレチカが吠えてるのですね

 

しかし

一条帝に他の妃がいない内は

大丈夫ピンクハートイジワルされないブルー音符

という訳でもなさそうです

というのは

皇太子は内裏の昭陽殿に

お住まいなので

皇太子妃たちも内裏に殿舎を

たまわっているのです

 

皇太子である居貞(いやさだ)親王

(のちの三条帝)の妃たち

それぞれの入内の時期・殿舎・父

 

989年  綏子  (やすこ)  麗景殿 兼家

992年  娍子(すけこ)  宣耀殿 済時

995年  原子(もとこ)  淑景舎 道隆

※済時の娘は子(しゅうこ)とする本もあります

また、済時も995年の疫病で没しています

ちなみに淑景舎(しげいしゃ)

別名は「桐壺」

光源氏のお母さんが入った殿舎です

帝の清涼殿からは遠いので

光源氏のお母さんは色々大変でした

(※源氏物語のお話です)

桐壺は昭陽殿からは近いので

皇太子妃には悪くない場所です

(下の方の図をご参照下さい)

桐の花(フォトACより)

お庭に桐が植えてあるので「桐壺」

 

994年には娍子が敦明親王を

産んでいますにっこり

火曜のブログに書きましたが

原子は定子の同腹妹

ニコニコニコニコ

なんともうひとりの同腹妹も

御匣殿(みくしげどの)別当として

後宮に勤務していたのでニコニコ

(この妹は「御匣殿」と

呼ばれていました)

ドラマには出てきませんが

道隆ファミリーの姉妹3人が

内裏にいたのですびっくり

 

姉妹でいれば心強いかも

しれませんが

道隆の強力な後ろ見を

なくした今

道隆の娘たちは

危険の中にいます注意

 

道隆が権勢をふるっていた時から

ファミリー(中関白家)のことを

うとましく邪魔に思い、憎み

道隆が消えた今、姫たちも

早く内裏から消えてほしいと

願う人もいたことでしょう

 

原子姫も定子姫の逝去翌年

後を追うように亡くなります

ドラマに出てない姫なので

ネタバレにならないと思いますが

原子姫は1002年に

喀血して頓死ガーン

ピンどころの話ではないのです

怖い所ですね、後宮

ドクロ

さらに怖いですが、定子姫の没後

一条帝の寵愛を受け身ごもった

御匣殿(みくしげどの)も

同じ1002年

妊娠中に亡くなりました

これらを知ると道隆が死ぬ前に

「頼む!酷い事をしないでくれ‼」

必死で懇願していたのも

わかる気がします。。。

源氏物語では

前述のように淑景舎(桐壺)

にいた光源氏のお母さんが

こんな目に逢っていました下矢印

 

御局(みつぼね)は桐壺なり。

あまたの御方々を過ぎさせ給ひて

ひまなき御前渡りに、人の御心を

尽くし給ふもげにことわりと見えたり。

参(ま)ふ上り給ふにも、あまり

うちしきる折々は、打橋(うちはし)

渡殿(わたどの)のここかしこの道に

あやしき態(わざ)をしつつ

御送り迎への人の衣(きぬ)の裾

耐へがたく まさなきこともあり。

またあるときには えさらぬ馬道(めどう)

戸をさし籠(こ)め、こなたかなた

心を合わせてはしたなめ、わすらはせ

給ふときも多かり。 <桐壺>

 

寵愛されて帝のお渡りやお召しが

多いのはいいけれど、他の姫の

殿舎の前を往来するので

丸わかりで妬まれ

苛められるのですガーン

「あやしき態(わざ)」とは汚物を

まきちらすとか、裳の引っ掛かる

ような仕掛けをするかした事だと

岩波文庫の注釈にあります

ピンとか痛い物、危ない物を

撒いておくのも

いかにも有りそうですよね

真顔

「戸をさし籠め」というのは

殿舎のジョイント部分の

廊下の仕切り戸を閉めて施錠し

行きも帰りも出来ないように

閉じ込めたのです

平安の住居でこれやられると

寒い時だと命に関わりそうタラー

雪だるま

こんなイジメを受け続けて

光源氏のお母さんは衰弱し

死んでしまうのです

生きてる人間の妬み・恨みほど

怖ろしいものはないことを

母を妬み殺された源氏

よくわかっていたのですねー

だからこそ長男・夕霧が

妬みを受けないよう

厳しく厳しく扱ったのですねー

ピンクハート

お読みいただきありがとう

ございましたお願い