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一条帝に最初に入内したのは

もちろん定子姫赤薔薇

道隆の長女でコレチカの妹です

一条帝とはイトコ関係にあり

御仲が大変良ろしくあられた

そうです

道隆生存中は道隆への遠慮と

一条帝の若すぎる年令ゆえに

娘を入内させようとする公卿は

他に出ませんでしたが

995年に道隆が没した後

他の姫君が次々入内します

 

結果、一条帝の妃は5人

入内の早い順番に並べてみます

(全員藤原さんなので藤原は省略)

 

 1 990年入内 定子 父は道隆 

2 996年入内 義子 父は公季

3 996年入内 元子 父は顕光

4 998年入内 尊子 父は道兼

5 999年入内 彰子 父は道長

 

それぞれ内裏のどの殿舎を

たまわっていたのでしょうか?

有力貴族の娘・すなわち中宮候補の

姫君が入るのは弘徽殿や飛香舎

ひぎょうしゃ=藤壺)だそうです

1 定子 登華殿(とうかでん)

2 義子 弘徽殿(こきでん)

3 元子 承香殿(じょうきょうでん)

4 尊子 「暗戸屋(暗部屋)の女御」

      と呼ばれ、どの殿舎か不明

5 彰子 飛香舎(=藤壺)

※定子姫は凝華舎(梅壺)に

入っていた時期もあるそうです

※1000年の内裏新造後は

弘徽殿は敦康親王の曹司に

なったそうです

 

最も格の高い殿舎を

与えられた事を見ると

義子姫は

超高貴な姫キラキラとして

最初はとくに厚遇を受け

その後もきっと父の地位の

上昇に見合う待遇は

受ける事ができたのでは

ないでしょうか(位階等)

義子の父・公季(きんすえ)

兼家の異母弟ですが

公季の母は醍醐帝の姫御子王冠1

義子の母も醍醐帝の孫王冠1

ですから義子姫は

父方も母方も高貴で

申し分ないお血筋・そして

政治力の高い父の

後ろ見付きピンク音符

幸運なことに

義子の父は995年に大流行した

疱瘡に感染しなかったのです

 

史跡の説明板からお借りしました下矢印

帝がいらっしゃるのは清涼殿

尊子(たかこ)姫は入内より前に

父・道兼を疱瘡で失っていました

強い後ろ見のない姫君なので

苦労されたのではないでしょうか

各姫君の没年令を比較してみると

 

① 定子 24歳  ② 義子 80歳

③ 元子 生没年不詳

④ 尊子 39歳  ⑤ 彰子 86歳

 

※元子姫の生年は979年頃で

入内当時18歳位と下記の

書籍中で推測あり

 

やはり定子姫の短命は

痛ましいですね泣

道長の妻・倫子姫のように

結婚後も健在の実親に

大切にされ、物質的にも

精神的にも恵まれた環境で

生きることができた姫は

この時代に高齢出産しても

長生きしていますがおばあちゃん

 

元子姫は珍しいタイプの皇妃で

実家に戻り、一条帝の没後の事

ですが再婚もします結婚指輪

帝と事実上離婚して

他の妃が時めく後宮を去り

父の支配に抗いながら

本当に好きな人と

人生をやり直す勇気乙女のトキメキ

彼女の生涯は昭和の時代に

有名な先生が記録されました本下矢印

元子がもしドラマに出てきたら

嬉しいですが。。。出ないかな

 

道兼の娘であり

なんとも気になる存在

尊子姫

は平成の平安コミックに

登場していましたリボン

暗いお部屋に住んでいましたが

新参の女房達に次第に心を開く

個性的で可愛らしいお姫様に

描かれています

※ シリアス系のコミックでは

ありません

 

 

5人の姫君のうち今のところ

出て来たのは3人です

(尊子・彰子はまだ幼女)

これからどの姫君が出て来るのか

やっぱり出て来ないのか。。。

大きくなった彰子姫の姿も

楽しみにしていますブルー音符

 

今回はまひろの従者・乙丸

(おとまる)にセリフが多くあり

ハートフルな優しいキャラが

際立っていましたピンクハート

道長の従者・百舌彦(もずひこ)

と話してる様子も可愛らしく

ほのぼのしました~むらさき音符

金曜は乙丸関連です

ご興味合えばぜひご覧下さい

 

お読みいただきありがとう

ございましたお願い