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m。。m

とうとう伊周(コレチカ)

詮子を完全に敵に回しました

何も言わなかったけれど

怒りのオーラが炎のように

立ち昇っていましたね🔥

伊周はみずからの手で

大きな墓穴を掘って

しまったのです叫び

史上初の「女院」の称号を得た

国母であり皇太后である叔母の

力を舐めているのです

自分の失言の程度が

ぜんぜん分かってないコレチカ

そして帝である一条帝の立場が

臣下である自分より遥かに

上でなければならない事も

全然わかっていません

「ボクのイトコの一条君」

とでも思ってるんでしょうネ

定子姫がこれから辿る

辛く悲しい運命は

姫の国民的愛され度から

しても納得されがたい

悲痛なものですが

愚かな兄の

巻き添えを食ったのですね

 

実の妹であっても

皇太后は雲の上の方で

自分は臣下だということを

道隆がわかってないから

息子がわからないのも

仕方ないですね

 

オレッチすごい

ジャンプ力ブルー音符

      

妹(詮子)を踏み台にして出世

(詮子は実家のせいで円融帝の

寵愛を失い別居になりました)

汚れ役は道兼にやってもらい

「何も知らず

きれいな道を」

涼しい顔で歩んできた道隆

詮子が「帝の后(円融帝中宮)」

なれなかったのは

実家のせいなのに

(帝を立てない兼家の強引さに加えて

中宮になった姫ほどに皇室の血が

濃く入ってない実家である事も

関係あったのでは?と思います)

一番痛い部分を平然と

言葉で刺す兄嫁(ドラマの中のお話

「転んで泣いているようでは

帝の后にはなれません」発言のこと

「絶対に許せない一言」って

ありますよね爆弾

憎んでも

憎み足りない

兄と兄嫁への

詮子の怒りのすべてが

これから伊周と定子に??

 

失言と言えば公任

公任は口の災いで

伝説化した存在のようですが

その逸話が描かれなかったのは

失言キャラ伊周君

際立たせるため

だったのでしょうか??

今日は失言スプリンクラー

みたいだったコレチカ君

道兼叔父さんにまで

失言してましたガーン

もう道雅も生まれているはず

お父さんのはずなんですがタラー

🔥🔥🔥🔥🔥

貴族のお邸が燃える時って

不思議ですが

主の運命が下降に転じる時期に

時期を合わせたように

燃えたようです

このブログでみたのは

・公任の四条邸の焼失

・源高明の西宮(さいきゅう)の焼失

でしたが、公任の四条邸は娘の死が

連続した翌年に燃えました

公任は出家・岩倉に隠棲します

高明の右京の邸は

安和の変で左遷された直後に

焼失しました

伊周は東三条殿ではなく

道隆が新造した二条の邸に

住んでおり

定子姫はその邸を里邸とし

里邸で出産予定でしたが

邸が焼亡(995年夏)

里邸をなくした定子姫は

その後3回出産しますが

平惟仲や惟仲弟の邸で

出産するのです

 

平惟仲って、道兼と別れた

繁子の再婚相手結婚指輪

道隆派の公卿で

道兼より17歳も年上でした

定子姫の葬儀を取り仕切った

のも平惟仲だったそうです

一条帝の乳母を務めた女性

道兼元妻汗うさぎ)を妻にしました

定子を愛する一条帝の意向を

受けて動いたのでしょうか??

あるいは亡き道隆のために??

 

星星星

社会福祉施設のはしりと

言われる「悲田院」

光明皇后が723年に創設

なさった悲田院の場所は

奈良の興福寺だったそうです

今回は道長が悲田院で

まひろに再会しました

(光源氏が紫の上を看病する

場面、源氏物語にもありました

たしか胸の病で)

悲田院、平安京にも

あったのですねびっくり

「施薬院」とセットで設立され

慈悲の思想に基づいて

貧窮した病人や孤老を収容

したそうです

 

明日は京都の街中の交差点

ホテルオークラのある

交差点附近にあったという

悲田院の事などです

もしご興味が合えば

ぜひご覧下さい

お読みいただきありがとう

ございましたお願い