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(2)の続きです

高松神明神社は

エレガントな白い鳥居が

印象的な神社です

明子姫のお邸・高松殿(たかまつ

どの)の鎮守社だった神社です

<高明の娘、明子は当所に住して高松殿

と称され、後に藤原道長と結婚したウエディングケーキ

娘の寛子と結婚した三条天皇の皇子

小一条院の御所ともなった(…)>

 

明子姫は父方からも母方からも

帝の血をひいておられ

ダブルロイヤル真正の

お姫様乙女のトキメキ幼時に父・

高明が大宰府に左遷(安和の変)

という不運もありましたが

それでもやはり

高貴なお血筋・高いご身分ゆえ

ある程度安定した立場を得て

お邸を相続・子の数も多くご長寿

全体的にみれば

幸運に恵まれた生涯を

送られた方ではないでしょうか

 

明子姫のひ孫・賢子は白河天皇の

最愛の后(中宮)となり

善仁親王(のちの堀川天皇)

産んで国母となっていますし

子息・長家に始まる家系は

御子左家となり俊成・定家が出る

など子孫も大活躍していますキラキラ

 

明子姫のお邸・高松殿の

鎮守社だった高松神明神社は

知恵を授けて下さるお地蔵様が

あることで有名ですにっこり

こ、これは上矢印戦国武将の印!?

と、赤い看板の六文銭のマークに

ビックリしますがびっくり

お地蔵様とは真田信繁 幸村)

の念持仏(個人が身近に安置し日々

礼拝する仏像)だったとのことびっくり

現在は「神明地蔵尊」と呼ばれ

台座を撫でさせていただいた手で

子供の頭を撫でると知恵を授かる

ことができると伝わります

(お地蔵様の写真はありません

すみません)

2016年の大河は『真田丸』で

『VIVANT』の堺雅人さんが

真田信繁 幸村)を演じたとか

信繁 幸村)ゆかりの地は

京都では珍しいそうです

元々和歌山にあったお地蔵様を

18世紀のお坊さんが

こちらに移したのだそうです

お地蔵様を神社に!?驚きますが

かつては神宮寺(神社に付属するお寺)

あったとのこと

明治の神仏分離令でお寺の方は

廃寺となった結果

「お地蔵様のある神社」に

なったという事のようです

 

高松殿は後白河天皇が践祚(せんそ)

・即位された場所でもありますまじかるクラウン

1156年の保元の乱では

源義朝や平清盛の軍勢が

この地に集結したそうです

 

今では小さな神社ですが

歴史上の有名人多数にゆかり

ある場所なのですね:

源高明・源明子・藤原道長・

藤原寛子(明子と道長の娘)・

敦明親王(=小一条院・三条帝の御子

で寛子と結婚)・白河法皇・後白河

天皇・源義朝・平清盛そして

真田信繁 幸村)

(他にも)

ゆかりの人物を調べさせるだけで

歴史の成績が上がりそう本

小さな神社ですが

可愛いマンガ付きの説明板も

設置されていて上矢印

子供さんも喜んで読みそう

歴史への興味がわき鉛筆

知恵も授かるなんてにっこり

ありがたいスポットですねキラキラ

 

ご鎮座千百年(2020)記念

の説明板下矢印

高明公の娘明子は左遷された時は5、6歳

公の弟盛明親王に娘がなかったので養女と

なられました

高明公、盛明親王も亡くなった後、藤原道長公

の姉・皇太后詮子に引き取られて東三条殿で

大切に養われ

988年藤原道長公と高松殿で結婚され

高松殿と称されていました

 

高明公が琵琶の名手であった

ことも記されています

容姿端麗・音楽にも和歌にも

秀で著書『西宮記』もある

立派なお父上が

都を追われ母も出家

叔父のもとで育ち、その叔父も

他界して後、他家の世話に泣

今からの展開は幸せで

あってほしいですね

お読みいただきありがとう

ございましたお願い