アクセスありがとうございます

いいね!ボタンはありませんので

ご興味ない方トバシテ下さい!

テーマがバラバラですみません

m。。m

(2)の続きです

前回写真を載せた史跡

「源融河原院址」の西に

「本覚寺(ほんかくじ)」という

お寺があります

 

 

本覚寺 

アドレス:京都市下京区本塩竃町558

 

ここは嵯峨天皇の皇子・源融(光源氏

のモデル)の河原院塩竃の第

あった所で

融は鴨川の水を引き入れて池を造り

塩竃の浦(宮城県)の景観を移し

毎月難波の海(大阪湾)から海水を

運ばせては塩焼きをさせて

その風情を楽しんだと言われている

当地の住所、本塩竈町にその名残が

みられる

 

河原院には「塩竃の第」

いう別名があったのですね

源融公はみちのくに憧れた貴公子

「ここではない彼方」に

憧憬の念を抱き続けた

ロマンチックな人

大阪湾の水を京都まで運ばせて

塩焼きをするとは驚きですね

 

コミック『応天の門』4巻17話下矢印

「在原業平、京にて塩焼きの宴を催す事」

業平は自邸の庭に塩竃を造り

海水や玉藻(ホンダワラ)を運ばせ

藻塩焼を眺める趣向で酒宴を

開きます・そこに集まったのは

反藤原のメンバーたち

源融も登場しますピンクハート

 

 

本覚寺には源融の木像が

安置されているそうです

源氏モデルと言われる方

ですから麗しい方だったの

でしょうねピンクハート

木像は非公開ですが

2009年に

下京区130周年記念イベント

源融が結ぶ塩竈の縁(ゆかり)

という催しの折に

展示されたそうです

写真が個人のブログ等に

載ってるので

検索で画像を拝見できます

 

ところで百人一首の中に

荒廃した後の河原院で

詠まれた歌があることを

ご存じでしたか

このおなじみの歌が河原院でびっくり

下矢印

やへむぐらしげれるやどのさびしきに

人こそみえね秋はきにけり

(拾遺和歌集・恵慶法師)

 

詞書に明記されているのですびっくり

下矢印

詞書「河原院にて あれたるやどに秋来と

いふ心を人々よみ侍り」

恵慶法師は源融の子孫・安法法師と

親交があったそうです

安法法師は荒廃した河原院を

寺にして住み、歌合を主催するなど

歌人の集う場にしたのです

 

のちに河原院の跡地に

菅原院(是善の邸宅)を

前身とする

歓喜寺が移って来ます

このときすでに塩竃宮があり

源融公が祀られていたようです

1003年、歓喜寺の神護の為

天満大自在天神が

お祀りされました

これが

錦天満宮

始まりなのです

有名な「錦の天神さん」は

河原院の跡地に始まった

神社だったのですねびっくり

 

歓喜寺は1299年に他寺と合併

歓喜光寺となり現在は

山科に移っています

天満宮は天正年間に

秀吉の政策で今の場所(錦小路

・錦市場東端)に移ったのです

名水「錦の水」の湧く所です

タラータラータラータラータラータラータラー

 

錦天満宮

アドレス:中京区新京極通四条上る

中之町537番

有名な「ビルに刺さる鳥居」を

裏から撮っています下矢印

 

 

からくりおみくじが2種類あります

下矢印これは獅子舞がおみくじを

取って来てくれますブルー音符 

京の名水・錦の水 

冷たい地下水で鮮魚をキープできるので

錦小路の場所に

お魚屋さんが集まったのですねうお座タコ

市は平安時代から立ってたそうです

錦天満宮の境内には

 塩竃(鹽竈)神社という

摂社があります

源融公をお祀りする

お社だそうです

昨年(2023)京都産業大学の

学生さん達と錦天満宮が協力して

塩竃神社の御朱印を作成

源融(河原左大臣)の和歌が

刷り込まれています

水のイメージの素敵な

ご朱印でした

よーく見ると百人一首の歌入りピンクハート

史跡・源融河原院址が出てくる

コミックです下矢印

 

このマンガには

現代にタイムスリップした光源氏

(記憶は喪失)が史跡・源融河原院跡

に連れてゆかれ

何か思い出さないか問われる

シーンがあります

タイムスリップした時点で源氏は

まだ若くて六条院建ててないし

何も思い出せないんだけど笑

 

角ばった・いかめしい城塞なんか

造る戦国武将なんか存在しなくて

源融公みたいな風流で

ロマンチックな方が

お庭造りに夢中になってる

時代はいいなあピンク音符