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(1)の続きです

以前、竜宮城みたいな山門の

この写真を載せましたが上矢印

花山帝ご出家のお寺・元慶寺は

藤原高子の発願により

僧正遍照が開いたお寺です

高子姫は清和帝に

入内したお姫様雛人形

御子(のちの陽成院)をお産みに

なる時にお寺を開いて

御仏の加護を祈られたのですね

・山門の二階は鐘楼になっているそうですが

非公開です

・門の内側には本来「帝釈天」と「梵天」

(仏法守護神)の像が収められているそう

ですが現在、国立博物館にあるそうで

写真だけ飾られていました

 

・門の外側・向かって右に

「禁葷酒(きんくんしゅ)」

と書いた大きな碑があります

   ・・・すみません碑の写真はありませんあせる

葷=ニラやにんにく等、精のつく

香草や酒類の持込を禁じる碑です

修行の妨げになるからですね

 

門の外側・向かって左には

駒札(説明板)があります

道真公にも言及があります

「鐘楼門の上には菅原道真が勅命により

元慶寺のために詠んだ漢詩が刻まれた

三代目の梵鐘が再興され、収められて

いる」(駒札記述)

応仁の乱での焼失・先の大戦での

供出に因り3代目の鐘だそうです

 

僧正遍照 816-890
道真公  845-903
半世紀ほどご存命期間が
重なっていますねニコニコ
 

門を入って左の方にこの

大きな碑があります下矢印

僧正遍照のお墓ってこれかなと

手を合わせてしまう所でしたが

こちらの碑はお寺の

「再興の記念碑」で

江戸時代のものにっこり

お墓じゃなかったのですねあせる

僧正遍照のお墓はお寺の中ではなく

南西の少し離れた場所だそうです

下矢印地図を載せて下さっています

記念碑のそばに

ふたつの歌碑が建っています

僧正遍照と素性法師は親子です

右・僧正遍照の百人一首入集歌

天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ

 乙女の姿 しばしとどめむ

左・素性法師の百人一首入集歌

今こむと いひしばかりに長月の

有明のつきを 待ちいでつるかな

 

ちなみに遍照の出家前の名前は

良岑宗貞(よしみねのむねさだ)

35歳で出家・70歳で僧正

寛和の変(986)より百年程

前に没しておられました

 

お寺のお庭に「ご落飾道場」

の碑もありました下矢印

いわくありげな岩石が下矢印

岩石についての説明下矢印

「平安時代に勢力のさらなる拡大の欲望を

持った公家の藤原兼家・道兼親子は

そのために孫の懐仁親王を僅か7歳で

第66代天皇に即位させようとの

陰謀を企てました。そのため第65代

花山天皇は19歳の若さで、寛和2年(986年)

6月23日早暁に元慶寺で出家されました。

その際の御剃髪は元慶寺に埋められ

その場所の目印にこの岩石が置かれたと

伝承されています。」

本堂も平地にあり階段を上る必要が

ほとんどありません ありがたいなー

このお寺は石段がほとんど

ありません

山門に2,3段はあるので

完全にフラットではないですが

一般にお寺は階段が多いかとガーン

 

山科は道が曲折して狭い

ので、お話しながら車道を歩くのは

非常に危険注意ご注意ください

アドレス:京都市山科区北花山河原町13

 

詮子が「慈徳寺」というお寺を

創建(落慶供養999年)したのは

元慶寺の北隣、現在は「華山寺」

がある場所だったらしいと

言われています

詮子がお寺を建てた場所が

(もちろん方位等、占いの結果も

関係したでしょうが)

藤原高子の建てたお寺の隣

というのが史実ならば

自分と同じように

「兄の出世の道具として入内

させられた妹」

唯ひとりの御子の即位

唯一の希望」

であった高子に詮子はやはり

心を寄せていたのだろうかと

想像してしまいます

 

追記:高子姫は陽成天皇と

なられた御子の他にも男御子・姫御子

両方いました・間違えているので訂正

しました上矢印すみませんあせる

 

詮子のお寺・慈徳寺の座主

(トップ僧侶)になったのは

寛和の変で重要な働きをした僧・

厳久(ごんく)だったため

実は詮子が寛和の変の

首謀者だったのでは?との

説もあるのだそうです

 

花山帝の話に戻ります

 

花山帝は、後ろ盾であり自分を

立太子させた祖父・ 伊尹を

幼児期に亡くし、2年後に続いて

実母・懐子を亡くし

精神的な支えとなった愛妃も

入内の翌年に早々と失い

人生前半から悲しみの連続泣

 

若くして出家された花山帝は

後の人々に大きな影響を及ぼす

大きな仕事をされました:

当時途絶えてしまっていた

「西国33所観音霊場巡礼」

の復興です

番組の最後のコーナーでも

言ってましたが

兵庫県の中山寺で

石の櫃(からと)に収めてあった

33の宝印(長谷寺の徳道上人が

閻魔大王から授かったという

宝印)を取り出し

霊場巡りを再開したのは

花山法皇だと伝わるのです

 

 

 

中山寺は閻魔堂があり閻魔様

いらっしゃるお寺でもあります

西国33所巡礼も閻魔様への

信仰と深く関わっているのですね

 

西国33所のご詠歌は

花山法皇の御製(ぎょせい)と

されています 

法皇は木の短冊に和歌を

したためられて

巡礼した寺院の柱に打ちつけながら

各所を回られたそうです

 

法皇ゆかりの元慶寺は西国33所

の「番外札所」です

元慶寺にもご詠歌のご朱印が

あるのですが、こちらの歌は

僧正遍照の作であるそうです

待てと言はば いとも畏(かしこ)し花山に

志ばしと啼かん鳥の音もがな

遍照の和歌は「風流洒脱」と評されます

 

元慶寺は花山法皇の他にも

道真公・僧正遍照・藤原高子・

陽成院など有名な人物に

ゆかりがあるお寺なのですねブルー音符

素敵なお庭に四季の花が咲き

清々しい気持ちになれる

小さくて静かなお寺です

素敵な御影も2種類

とても綺麗で大切にしたくなる

御影を授与いただけます

左はご本尊の薬師瑠璃光如来

左手に薬壺(やっこ・フタつきの薬入れ)

を持っておられ、病気を平癒し

現世での救いをもたらす仏様です

 

お読みいただきありがとう

ございましたお願い