前回(1)の続きです

 

3年前の新聞にこんな記事が

出たのです下矢印

 

なんかこのお皿を見ると息苦しい

ように思えるのは私が生霊に

なっているから?(※冗談です)

 

鬼門除けのお皿が発掘されたのは

元々惟喬(これたか)親王のお邸

であったのが、のちに

実頼所有になった

小野宮

のあった所

祖父・実頼に特別優遇された

実資が引き継いだお邸です

 

惟喬親王は文徳天皇の御子で

藤原氏のせいで

帝になれなかった方です

小野宮を手放されたのは

双六賭博(すごろくとばく)

負けてのことと伝わります

(庶民には理解しがたい豪快

すぎる賭けですねあせる双六とは危険な

バクチでもあったのですねあせる

業平も一緒にやってたのかな?)

 

実資邸で美人妻が双六してる

シーンが映されたのは

ここは双六のカタになった

小野宮ですよブルー音符って事かな??

 

南北に走る烏丸通をはさんで

この発掘現場のお向かいに

京都新聞社のビルがあります

このあたりは京都市営地下鉄

丸太町駅の真上です地下鉄

京都新聞ビルのある付近は

小野宮の付属地と伝わり

「少将井殿」と呼ばれる

お邸があったとされています

そのお邸も惟喬親王右矢印

(多分人を経て)右矢印実頼右矢印実資と

小野宮とセットで

伝領されたようなのです

(※実頼の誕生は親王の没年より後)

 

 

優遇された実資が

両方もらったのかなびっくり

ビルの「京都新聞」の文字真下

京都銀行ATMの横に

説明板が上矢印はまっています

 

 少将井跡

各所にあった名水の一つで

「枕草子」にも挙げられている

名前の由来はさだかではないが

歌人の少将井の尼が住んだため

との説がある

平安時代以降、八坂神社の御旅所があり

現在の祇園祭にあたる

祇園御霊会で神輿が巡行

疫病を逃れるための霊水信仰

基づくとされ、神輿は井桁の石に

安置したという(・・・)

昭和47年、京都新聞が平安博物館に

発掘調査を依頼

平安時代の泉水は確認できなかったが

鎌倉から近代の井戸跡が多く見つかり

この地が良い水に恵まれ

地域住民が利用していたことが

あらためて確かめられた

『枕草子』のいわゆる「ものづくし」

(清少納言お気に入り列挙)の部分に

少将井が出て来るのです下矢印

タラー                  タラー 

井は ほりかねの井。たまの井。

はしり井は、逢坂なるがをかしき也。

山の井、などさしもあさきためしに

なりはじめけん。

飛鳥井は「みもひも寒し」と

ほめたるこそをかしけれ。

千貫の井。少将。さくら井。

きさきまちの井。

タラータラータラータラータラータラー

    ( みもひ=水瓶)

逢阪は逢坂山でしょうが

「走り井」って何?皆がダッシュで

行くの?と疑問でしたが

勢いよくほとばしる湧き水

のことなのですねひらめき電球

 

事実をありのままに正しく答える

真面目で正直で頑固な性格だから

金の邸(小野宮)も銀の邸

(少将井殿)も実資のものに!?びっくり

利得の為に真実を

曲げたりしない正直な少年は

金・銀・鉄の3つの斧を

得たのですキラキラ(イソップ物語)

清少納言は上のように

湧き水ベスト9を挙げましたが

(161段)

お屋敷ベスト14も挙げており

(19段)

その中に実資の小野宮も

ばっちり入っていますニコニコピンクハート

 

実資の邸には良い湧き水が

あったので水汲みに来る人が多く

その中で気に入った女性を実資が

家の中に引っ張りこんでいたと

伝わります(『古事談』)

遺産分配のことも合わせ

賢人じゃなかったの??

疑問に思いますが

(名水を一般公開して女性を引き寄せる

のは賢いのかもしれませんがあせる

老年は認知症だったのでは??

とも、みられているそうです

ドラマでは何歳ぐらいまでの

実資が出て来るのでしょうか

 

985年(花山帝譲位前年)の

実資は28歳びっくり

まだ20代で若いし

華麗でミラクル

場面を期待していたのですがサッカー

いや、これからきっと蹴鞠の会に

参加したりするのかな

一条帝の御代には蹴鞠が

流行したそうですし。。。

次はロバート実資さんの

活躍が見たいですキラキラ

 

京都新聞ビルの東側の筋には

「少将井旧跡」の碑もありました

柵の内側に建てられています

お読みいただきありがとう

ございましたお願い