東京都知事が週末の外出自粛要請をしたのが天に伝わったのか、花見のピークのはずの週末の関東の天気予報は大雪。驚く反転だ。桜と雪という滅多にない取り合わせを見たのはだいぶ前だが、今はまったく見たくない。その雪が空気中のコロナウィルスをきれいに流し去ってくれるなら、別だが。
既に今朝は曇り空に嫌な音をたてる暴風が吹き荒れて、八分咲きの桜をいじめているようで、室内にいてもいらいらしてしまう。
それは天気だけが理由ではなく、ここしばらく自分の心が或ることでもやついて、晴れないのだ。ずっと考えていて、なるべくプラスの結論へ持っていこうとするが、また最初に戻り、ぐるぐるとループするのを止められない。

ふと思う。
アーティストや詩人はなぜいつも、孤独なのだろう。
彼らが「眼に見える」成功を、名声を得るまでは世間はひどく冷淡だ。半人前、夢ばかり見ている怠け者、現実的な力に欠けた役立たず、と簡単に見下す。普通の、何ら飛び抜けたものを見せていない人々までもが。
「現実的な」人々、現実社会で何とかそれなりに、公私ともに物事をこなしている人は、無意識に「自分の」基準で、「自分より」低い人を、怠け者、頭の悪い人と決めつけているような気がする。その基準で「自分」より優れている人は、簡単に敬意や評価を与え、コミュニケーションや付き合いも明らかに差をつける。全然悪気はない、無意識のことだ。
勉強や仕事において、はっきり眼に見える基準で優秀さが見えない人のことは、何もない、劣った人と軽視する。

だが、その人の中では、誰も見たことのない宇宙が見えているかもしれないのだ。
それをどうやって見せたらいいのか、わからない。普通の仕事を計る時間や報酬とはまったく違う次元の力、仕事である。そういう仕事には本来、締め切りもない。時が来たら成る。そうでなければいくら努力しても願っても、成らない。
だが何も見せられない以上、黙って「出来ない人」のレッテルを貼られたまま、耐えるしかない。その中で自分を信じ、内に秘めた宝物を守り、真っ暗な鉱山の地下で厚い岩壁を少しずつ堀って進むしかない。誰も頼んでいないし、見ていないし、評価もしない。その先に何か原石があるか、保証はない。ただ自分の中の微かな感覚を信じるだけ。山の外、麓の村ではみんなが忙しく楽しく、現実生活を生きているときに。

理解、評価されなかった人として、いつも真っ先に脳裏に浮かぶのは、フィンセント・ファン・ゴッホだ。
この人ほど、純粋に、不器用に、自分の内なる声に従って仕事し、あまりに哀しく短く、人生を終えた画家はいないと思う。
彼の生涯をある程度知ったら、その孤独の恐ろしさに震えずにはいられない。
狂気の果ての純粋さにまで達して、その中に現れ、完成していく彼の画はまさに、不思議な花が一斉に開花していくようだ。
精神病院で描いた絵の、量、質ともに持つ豊潤さと輝きは、彼自身の現実状況と激しいコントラストで、画家の本能の神秘をまざまざと見せつける。

まさに骨の髄まで画家、であった。
彼ほど画家の運命を体現している人はいない。少なくとも一般大衆にわかりやすく。
しかし、一般大衆が「わかった」のは、彼の死からはるか後。

もやもやから心を切り離すため、昔、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(何と長い名称!)で実物の作品を見て、買った絵葉書をアルバムに見つけ、取り出した。
ゴッホの代表作「ひまわり」。
これを模写してみよう。

ゴッホのどの絵を見ても、彼がどうやってその独特な色彩を生み出したのかは謎だった。蛍光色のように新しい、輝く色。

油絵を少しだけ自己流でやったことがあるが、基本色をどう使ってもあんな色彩をどうやったら作れるのかわからない。プロならきっと出来るだろうが。素人が見てもわかる、彼独自の色なのだ。
彼が生きた19世紀にそのような色が既製品として在ったとは、どうしても思えない。画商であり唯一の理解者だった弟のテオに、繰り返し繰り返し、手紙で絵の具やキャンバスを無心するゴッホの言葉には心を打たれた。そんな窮状で高級な最新の絵の具を十二分に所有していたはずがない。
今回、水彩で模写するという、最初から限界が見えている試みゆえに、ある意味、気楽に取り掛かれたが、この「ゴッホの黄色」で占められた絵を模写するプレッシャーに怯まない人はいるだろうか?
そう、色を創るのは絵の具そのものではなく、画家の色をとらえる眼、感性なのだ。
ゴッホの色は、ゴッホの眼だけが見られた、彼にしか再現できない色である。
それでも模写することによってわかることがある。

1.黄色ばかりに見えて、この絵には黄色以外にたくさんの色が使われている。それが黄色を一層黄色く見せる。
2.ゴッホが描こうとしたのは、いかに一本一本の向日葵が異なるか、である。よく見ると驚くほど多種多様な向日葵だ。日本語の絵のタイトルは「ひまわり」だが、英語では「Sunflowers」と、複数形であることに、よりその意味があらわれていると気づいた。ゴッホは決して、ひとまとめに「ひまわり」と呼ぶ花を描いたわけではないのだ。

こんなにも異なる向日葵を手に入れて、花瓶に活けて飾ったとき、彼は本当に嬉しかったのだ。一緒にすると、一層お互いを引き立て合い、黄金のように豪華になる向日葵。その視覚の喜びに彼は至福に満たされ、手を打って喜び、心から愛でた。
そのすべてに共通する「黄色」という色を自分の感覚の限りを尽くして表現しようと決意した。そのために花瓶も、テーブルも、背景も黄色にしたのだ。実際は向日葵以外は別の色だったはずだ。しかし、絵によってのみ、彼は自分の心の眼が見た色に如何ようにも変えられた。
こうして一枚の画布の中に、彼は向日葵を、無数の「黄色」をつかまえて、閉じ込めた。狩人のように。
油絵の具と筆の特性により、向日葵、花瓶、テーブル、すべてに彼の力強い筆のタッチ、つまり手の動き、呼吸、生命がくっきりと永遠に刻まれている。小さな絵葉書にすら。

ゴッホが生きていたとき、仕事も人間関係も何をやってもうまくやれない彼を、人々は扱いづらい厄介者として煙たがった。
やっと見つけた友達、同じ理想、夢を叶えようと約束した仲間のゴーギャンすら彼に愛想を尽かして去っていった。ゴッホの寂しさ、絶望は想像するのも恐ろしい。
だが私だって、もし彼の家族や親戚、知人、村の住人だったら、どうしようもなく不安定な彼に頭を悩まし、陰口を言い、変人と恐れて、近よろうとはしなかっただろう。その色彩は狂人のものだと決めつけただろう。

そんな中で、弟テオと、モデルになってくれた限られた友人以外に彼のもとを去らなかったのは誰だったか?

束の間でも絶望を忘れさせてくれ、色やフォルムの天国で、偏見を持たず、批判も嫌悪もせず、いつまでも彼と対話してくれたのは花、彼女たちこそ彼の恋人であり、だからこそ、彼の筆によりその美を永遠に留めているのかもしれない。

人間社会で傷つき、独りぼっちだと感じたとき、きっと彼は自分が出来る唯一のことをした。イーゼルの前に座り、無骨な力強い手で、残り少ないチューブから絵の具を絞りだす。そして使い古した筆を取る。色や形を自分だけの眼で見つめ、それを全身全霊でキャンバスに写しとる。
その誰も勝てない、妥協しない真摯さを、私は「ひまわり」を模写するなかで痛いほどに感じた。「ひまわり」の中には、ゴッホ自身の命が閉じ込められている。

現代社会は彼を天才と呼び、誰もそれを疑わない。彼の名を冠した立派な美術館を建て、素晴らしいコレクションを日々、世界中の人が楽しむ。彼の絵は高額で取引される。(今回模写した作品を、日本の美術館がとんでもない額で買い上げたときのニュースのインパクトは、当時子供だった私も覚えている)
ゴッホの絵がプリントされたカレンダー、バッグ、傘、カップが売られ、彼の人生は有名な俳優が演じる映画になった。「ゴッホのひまわり」という向日葵の種すら、日本の種会社から販売されている。
周囲の眼や扱いがどう変わろうと、絵の中にいるのはゴッホと向日葵だけ。お互いだけを見ている。彼だけの黄色の世界で。

社会がゴッホに与えた最後の名称は、「精神病患者」「狂人」であった。
彼が周囲に見せようとした力、彼が本当は何者だったのか、彼に何が見えていたかを世界にわからせるに要した時間は、時計では計れなかった。彼自身、支えた弟、モデルたち、そして花たちの命よりも、気が遠くなるほど長い長い時間。だが彼が愛した向日葵の花もまた、二百年以上たった今も、彼の前にあった瞬間のまま、目を覚ますほどの鮮やかさで世界中に広がり、咲いている。

桜咲く春なのに、今朝、私のスケッチブックにはいろいろな向日葵が咲いている。
今まで使いこなせていなかった、レモンイエローとカンボージノーバがパレットの上でなくなったのが嬉しい。

絵を描いている間、外の嫌な風音は聞こえなくなり、心のもやは消えていた。
私はゴッホに「黄色」のレッスンを受けていた。

彼の母国語で言おう。

Dank u wel, Vincent.

(使用画材:水彩、モンバルキャンソン紙)