自分の中に、情熱的なイタリア人の魂が入っていたら、Fantastico!と叫んで、歌い、踊り出したかもしれない。
それはまさに、幻想的という言葉どおりの光景だった。

最近、人にもよく言うのだが、視力回復、或いは眼球をまるごと新しく入れ換える医療、技術をすぐにも開発して欲しい。そうしたら、未来に関して悲観的で、長寿への執着がまるでない自分も百歳になっても生きる気満々になるだろう(歯も併せて取り替えたい。もう年だからとあきらめるにはまだ時間がありすぎる)。
若い時に、細かいデータを印刷前にチェックする仕事を与えられ、更にはパソコンも必須となったら、元々良くない視力ががくんと落ちた。二十代で眼鏡着用者の仲間入りをした私は、顔の違和感になかなか慣れることが出来なかった。
それからいくつの眼鏡を作っただろう。落ちる一方なのだ。
二週間前、しばらく痩せ我慢していたが、とうとうギブアップして、また新しい眼鏡を作りに行った。スマホ老眼とやらになったらしい。
この先、いつまで眼鏡を更新できるか。コンタクトレンズは、何回作っても瞼をこじ開け、ペラペラしたレンズを指の先端に乗っけて入れる、という芸当が身につかない。二回に一回は、ぺちゃんこにつぶれたレンズを手に、まさに涙目になってあきらめる。レーザー手術をする度胸もない。
理数系の理解力がひどく低い私は何にもわかっていないが、山中教授に、「眼球再生のための細胞はいつ出来ますでしょうか?」と直々にお聞きしたくてたまらない。
更には花粉症と最近のコロナウィルス感染騒動から、マスクまで加わり、眼鏡がくもる。
「くもりにくいマスク」という商品があるが、マスク自体が店から消えている状況では選びようもない。

しかし、昨夜はそんな憂鬱な「眼鏡+マスク」セットが、少なくとも一つはプラスの面を持つことを発見した。
一昨日は20℃近くの暖かさが、昨日は芯から凍える寒さで、雨は午後に雪に変わった。
それでも閉じ籠ったまま一日を終えるのが嫌で、元気を出して傘をさし、防水ブーツを履いて出掛けた。
夕方にはまた雨に戻ったが、なかなか止まない。スーパーから家までは、歩いて20分はかかる。小さくため息をついて、歩き出す。
店から道路に出た途端、目の前にそれを見たのだ。

夜の闇の中に浮かぶ、虹の輪。

道路脇に点、点と立つ、何のへんてつもない灰色の柱の先についている、寒々しい白色蛍光灯の光を、虹色の円がやわらかく包んでいる。
まるでマッチ売りの少女が、雪降る街角の隅で、小さなマッチをする度に見た最後の幸せな夢の数々を包んだ光のような。
それが帰る途上ずっと、ありとあらゆる光が虹の輪になっているのだ。
角に並んでいるジュースの自販機二台のディスプレイの部分も、住宅街の表札すらもすべての灯りが虹色にほんのりと輝いている。
中心は深い青から水色へ、そして柔らかな黄色、オレンジ、赤へとつながる虹色の円環。電灯の質や大きさによっては、青が紫になったり、赤が強くなったり、輪が二重になったりもする。

暗くさびしい辺りほど虹は輝いて、その一帯を別世界にする天然のイルミネーション。
私は常に視界に五個から十個の虹輪をもちながら、子供のように楽しんでいた。
幻覚を見ているような不思議な感覚。
イタリア人なら歌でも歌っただろう、というのはそのときである。
だが実際は、真っ黒なダウンコートに、自分で編んだ古い、これも黒の毛糸の帽子を被り、マスクをして、傘に隠れてとぼとぼ歩くわびしい姿でしかない。その眼鏡の中に、虹がたくさん映っていると、誰が想像できよう。
とすれば、私と同じように街中で背中を丸めて夜道を急いでいる人たちも、実は素晴らしいものを見ているのかもしれない。
科学者なら、レンズやプリズム、湿気との関係を理論的に説明し、この現象の名称も言うことが出来るだろう。私はただ子供のように眼を見開いて、記憶して絵にするしか出来ない。

おそらく撮れないし、いくらやっても私の眼が見ているようには撮れないと確信していたので、カメラでは撮らなかった。その分、眼のレンズ、くもった眼鏡を通して焼きつけた。
今の高性能のカメラでも撮れないものがあることに、ほっとする自分は古い人間なのだろう。
本当は、というより、もちろん、この虹輪を見たのは初めてでではない。車のヘッドライトに見たことがある。雨の夜、運転中に見とれていてはいけない、と自分に言い聞かせた。

だが、こんな風にすべての光が虹になって、さびしい夜道を照らしてくれたことはなかった。
なあんだ、そんなのいつも見てるよ、とたくさんの眼鏡族の人々は笑うだろう。
だが、私は誰からも聞いたことがないから、ここに書かせてもらう。

(使用画材:パステル、水彩、ファブリアーノAccademia)