R's Voyage   ~アールズヴォヤージュ


  無能力とは、つまりは「慣性の法則」ということ。
  全ては今までの方向に惰性で進むという基本原則を見つめなければならない。
  相も変わらずやっていたら、そりゃあ楽だよ。変えるためにはよほどの覚悟がいる。


     ***


脳科学者の茂木健一郎さんが、2011年の9月につぶやかれたTwitterの抜粋。

もともとは社会やこの国に対する想いとしての発言だと思うんだけど。
時期的にも、ね。



しかし、そうなのだよねー。
自分が今やろうとしていることは、まさしくこれなのでした。

慣性をぶち破る。



慣性の法則が効いてるってことは、イコール平安でもあるわけだから、
そりゃ昨日と同じおだやかな今日が続いてくれることが、何よりの幸福なわけで。

その意味で、新しいことを始めるときには、
早く慣性をものにしたい! と思って頑張る無意識があるのだよね。

まあ、平たく言えば、
「ダセイでもなんでもいいから早く落ち着きたい」ってことですか。(笑)



変えようという意志からではなく、変えざるを得ないという状況が理由でも、
ともかく、
大変なのだな。

慣性から外れるということは、システムを一から構築し直すということだから。

「よほどの覚悟がいる」
やっぱそうなんだよねー。



・・ということはだヨ?

新しいコトを起こすにあたって、ゴールへ至るプロセスも、
もしかしたら今までとは違う方法をとってみる、ってことが早道だったり、する?

今までとおんなじやり方ってことは、
これすなわち慣性から外れてないってことなわけで、、、

それじゃあ何にも生み出せないってこと? じゃんね。そうだ!



今までだったら絶対いかないような道を選ぶのがポイントな気がしてきた。

いや、実際の道順でも場所でも装いでも、あるいは真逆の思考とかね、
なんでもいいんですけど、
自分の日常にはなかった行動をとってみる、うん、これ大事なんだきっと。



…覚悟、っていうのは、過去の自分とおさらばするってことじゃないかな。

未知を受け入れる、ってことなんじゃないかな。

未知の体験に踏み出すのは怖いから、つい、
既知のセオリーに乗ろうとしちゃうんだ。



なーんだ、それだけのことじゃん。

こんなことしたらこうなるんじゃないか、とか、そう考えてきたのだったら、
そんなことまったく考えずに、ひたすら向かえばいいんだ。

結果はあとからついてくる。



ていうかすでにこの一ヶ月で、自ずとそれはやってはいるわけですが、
ええ、けっこうしこたま(笑)

でも流れとしての選択であって、
ちゃんと意識してやってたわけじゃないからな…

ともかくも、そのとき最善だと思えたところに向かう。

ひたすら向かっていれば、澱んだり傷ついたり立ち止まってるヒマもないわい。



といいつつ今日は、じつは、澱んで立ち止まってしまっているわけですが。

んー、つまりだから、澱んで立ち止まってるということは、
なんにもしてないことの証明で。

無能、という言葉があとからあとから自分を責めにきたりしているのだけれど。

無能、、、なんか聞いたよな。
と思って、冒頭の茂木さんの言葉に還る。



・・・

そうか。
なるほどね。

やればいいんだ、やれば。
なーんも考えずに。



ひたすらに、ということはなかなか、度胸も集中もいることなのだけれど。

だって、このさき自分の歩む道を決めようってんだから、
選別だの吟味だの、どうしたって慎重になっちゃう。

でも。
それがすでに、慣性の法則からの発想でしかないとしたら・・・

考えちゃいけないんだな。
そんなことは。



自分の意思で、人生は切り開くものだと思ってきたけれど、
そうでもないんだってことが、わかってきたわけだし。
この一ヶ月で。

流れとかご縁って、やっぱりある。
それは意思とはまったく関係がないことで。

大局でみれば、有能とか無能とかなんてことも、実は関係ないんだ。

努力が足りないからとか能力が無いからとか、
そんな責め具も関係ない。



だって、一人の人間の人生に関わるようなことなんだもの、
それは相当に大きな流れであるはずであって。

100本の糸の中の、たった1本をより分けてたぐり寄せるようなもので。

真実をみつけだすって、そのぐらい大きなこと。

それを思えば、まだまだ、
こんな程度じゃ運命の真実になんか到達できるはずもないのだ。



縁づくところに縁がつく。

縁づかないのもまた、自然なんだ。



だから、思わぬ目をみつけたら、
石橋たたいてる場合でなく、さっさか渡ればいいんだ。

向こう岸には行きつけなかったとしても、
たもとに戻ってまた別の橋をさがせばいいだけなんだから。

とにかく渡ってみる。
そうしたら、100本の糸もだんだん減っていって、真実に近づくことになるのだ。



うん。
そう。
だったら、いっぱい渡ってみなくちゃね。

そこまでは自分の努力。
そこから先は、自分なんかはるかに越えた「自然の領分」なのだ。



わかった。
その気でヤルやる。

重くて立ち止まったけど、テコ入れできた。(笑)

なんたって今年は、30年ぶりに春を満喫するんだから。
季節の花と愛しあう独りの時間を、楽しむんだから絶対。



さー、明日はどんな新しいこと出来るかな。

何かひとつ、昨日とは違うことをするのだ。

やればいいんだ、やれば。
なーんも考えずに。



というか、、、
こんなこともうみんなとっくに解ってやってることだよね。(- -;)ゞ

・・・ダハ。(ちょっと可愛コぶってみる・笑)