久しぶりのブログです。


コメントいただいたにも関わらず、お返事もせず、
何ヶ月も遠ざかっていました・・・
本当に、すみません。


こないだ、しばらくぶりに開いてみたら、
マイページのデザインがゲームだらけになっていて
すごく見にくくて。
何と言うか、ちゃらい。
(まぁ、アメーバ自体がチャラい会社なので、しょうがないけど・・・)


あまりにも見にくいので、アメーバ即閉じてしまい。
ネット見る時は、twitterばかりやっていました。
ブログでは、母のこと、闘病に関する話題が中心だっだけど、
twitterはまた違って、政治や社会問題に関する議論が詰まってて、
年代問わず人と交流ができ、そういう情報収集には最適です。
もうすぐ、選挙も控えていることだし、
自分や子どもの未来を、社会の枠組みの中できちんと考え、
どう動くべきかを見極めていきたいです。


というのは、表向きの理由で、
本当は、何か別のことに意識を向け続けていないと、
しんどくなってしまうってのもあるかもしれない。


今日は、風邪を引いて会社を休んでいます。
普段、子供のことでお休みをもらうことが多いので、
自分の体調不良でなかなか、お休みしますと言いにくい気持ちがあるけれど、
幸か不幸か、今仕事は暇。
風邪うつしてもダメだよな~と考えて、えいっと休んでしまいました。


いろいろ、疲れていて、
このまま
数ヶ月休んでしまいたい気分得意げ
旅行嫌いの自分が、旅行したい気分になってます。


というのは、やっぱり、
母のことが、精神的にも少なからずダメージになってるみたいで、
何となく、今日はしんどいなぁ、って日が多くなっていて、
気力が沸かないというか。
夜眠る前に、無性に悲しくなったりします。
そんな今日は、母が亡くなってちょうど半年目。


夫も、理解を示してはくれるけれど、
当事者は、自分自身なので、
やっぱりこれは、自分自身がいつか立ち直って、
乗り越えないといけない壁なんだってことを日々実感してます。




落ち込むと、声が聞きたいなぁと思います。


そんな時は、お風呂の中で、浴槽にぴったりくっついて
自分の名前を呼んでみる。
お母さんそっくりだね、って言われてた声なので、
まるで、母に名前を呼ばれたような気持ちになって
自分でも、びっくりしますかお


そして、夢にもたまに出てきてくれる。
掃除機持って、パタパタと忙しそうに家事をしていて、
枕元で、ミケ子、いつまで寝てるの~と。
中学生くらいの時の記憶かな?




先日、喪中ハガキを作って、投函しました。
書かれた文字を読んでいるときの実感って、すごい強烈でした。


ハガキを出して、数日後に友人数人から連絡をもらう。
暗に、知らせてくれれば・・・というものや、
何かあったら、何でも言って、と言ってくれたり。
その気持ちが、素直に嬉しかったです。


私は、ほとんどの友人に母の死を知らせていませんでした。


病状が思わしくなくなってから、特に話をしなくなりました。
殊更、避けていたわけではないのだけれど、
あえて自分から連絡取って、話すってことはなかったです。
話しても、重いから暗くなるだけだろうし、
気を使って、反応に困らせるのも嫌だった。


それに、多分、伝わらないって気持ちもありました。


理解が難しく、同情されるだけなら逆に自分が苦しくなるので、
話しませんでした。
理解できないこと自体が何ら悪いわけではなくて、
センシティブな話題をあえて友人に打ち明ける時間も気力も自分にはなかった
ということかもしれません。
友人とは、メールをくれた時に普通に何でもないような話をして
なごむくらいの距離感で過ごしているのが、ちょうどよく、一番楽でした。


事情を知っている、同僚でもある親友は、
そっと見守ってくれて、
亡くなった時に、一言だけ声をかけてくれて、
それがとっても有り難かったです。


前向きになれない日が、思ったより多いけれど、
そんな中でも、少しずつ前進していけるといいなと思います。





もうすぐクリスマス。
独身時代は、女子会にデートに・・・と、楽しい時期でした。
今も、ワクワクする季節であることに変わりはないけれど、
楽しみ方は若干変わり、毎年のように、家族で家で過ごしています。
今年は特に、落ち着いた時間が欲しい気分で、
温かくておいしいものを食べながら、ゆっくり過ごしたいと思います。






最近、娘が3時や5時に目を覚ましたり、夜泣きしたりで、若干寝不足です。
独身時代は、夜泣きって、ほんとに赤ちゃんだけがするものだと思ってましたが、
実際は、頻度は減ってもまだまだ続くみたい。
夜明け前に起きてきたりという体験談は、いろんな人から聞いていて、漠然と、大変なんだな~とは思っていたけれど、
ぐっすり眠れる日が年に数度もないという状況が、
そしてその中で家庭を維持するということが、いったいどのようなものなのか、
うちよりひどい夜泣きの子の、具体的な話(外で1時間程あやさないと寝ないとか)などを聞いたりしていると
、実感を伴って、あぁ、大変だね…と、しみじみ感じるようになりました。
1人でもあっぷあっぷなのに、2人、3人と、育てている親御さんは、ただただ尊敬です[みんな:01]


うちの娘も、もう2歳。
お義母さんや、友達から、ちらほら2人目の話をされたりするようになりました。
時には、「まだ1人目だからね」と、2人目を産むことがまるで前提かのような話し方をされることも[みんな:02]


今のところ…というか、多分、うちに2人目はないと思っています。
理由は、いろいろあります。


今の自分の職場が、最低限の人員で回している零細であり、
加えて、子持ちは自分1人のため、
また産休育休をもらうのが、事実上難しいということ。
いざという時は、1人目の時のように、代替え人員を入れると言ってはくれているのですが、
中には不妊治療をしている同僚もおり、
自分ばかりが負担をかけるのは、どうしても心苦しい。
加えて、子どもの病気などで休む可能性が、単純に考えて、今の二倍になってしまうのも容易に想像でき、気が引けます。


もう一つは、片頭痛という自分の持病です。
今は、マグネシウムサプリのおかげで、劇的に発作回数は減ってくれているけれど、
子どもの病気以外にも、この発作で休まざるを得ない日が必ずあるということ。
また、ストレスや疲れから、その頻度は確実に上がるということ。
そして、この厄介な病気は、母から子どもへ、高確率で遺伝してしまうこともわかっています。




学生時代の私の夢は、恐れ多くもジャーナリストでした。
あきらめて、無難にバックオフィスの職業を選んだのは、いつどこで激痛に見舞われるかわからない身で、不規則かつ激務をこなすのはムリと、弱気な私は最初から挫折したのです。


同じような挫折を、成長した娘も味わうかもしれません。
バスケの田臥勇太選手も、同じ持病がありながらプロとして世界に挑戦しているし、
娘は強い子なので、私のように挫けないかもしれませんが、それは今はわかりません。


自分に持病があることで、持病を抱える人のしんどさを、確かに理解することはできるけれど、
メリットよりデメリットが多いのは確実です。
まだまだ、たかが頭痛…と考える人も多く、そういった無理解にも苦しむ可能性があり、
できれば、味わってほしくない種類の痛みです。


昔と違って、よく効くとされる薬が開発されていて、服用できるだけでも、現代に生まれたことに感謝です。


そんな病気を遺伝させたくないという、思いがあります。
発作時は子どものお世話もできないので、なおさら2人を抱える責任を考えると、躊躇してしまいます。


あとは、これからの日本で子どもを育てることに対する、経済的のみでない様々な不安です。
これは突き詰めて考えると、一番大きな理由なのかもしれません。




なんて事情を、まさか相手に切々と説明することもできないのですが、
一人っ子がかわいそうというのは、どうも定説になっているようで、
言う人は言います[みんな:03]




学生時代の友人にも、子どもはまだ?という義実家の言葉がしんどいという子がいました。
その子は今、めでたく二児の母になりましたが、
無事生まれるまでの数年間は、しんどかったと思います。




人が子どもを持つ持たないや、
何人産むかという選択は、
国家と個人の社会契約を維持する上で必要な「人口」に密接に関わるという意味では

その根幹を成す部分であると同時に、
限りなく個人的で、それぞれの抱える事情、ライフスタイルに関わる、デリケートな話題でもあります。


つまり、本来、他人にあからさまに聞いてはいけない種類のものだと、私は考えています。
夫婦という単位でライフスタイルを組み立てる以上、
たとえ遠慮のない実の親子間でも、本当は控えるべきだとさえ思っています。


それを殊更、何のためらいもなく他人に対して口に出して聞けてしまう。
この辺り、昔の「古き良き」とされている(自分はあまり、昔がいい時代だったとは思いませんが…)過去の日本人が持っていた、
いわゆるお節介を是とする文化の、悪い面が出ているのだと思います。




子どもはまだ?

というような、無邪気な言葉を悪意なく発するのは、
そういったプライベート意識のない年配の人や、
若い人でも、同質環境(主に田舎)で
育ち、その上世代の感覚を踏襲している人に、特に多いような気がします。








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