「こんなに情けないのは自分だけ?」
自己嫌悪から抜け出すために知っておきたいこと
人間関係で傷ついたときや、同じ失敗を繰り返しているように感じるとき、多くの人は問題そのものより先に自分を責め始めます。
なぜ離れられなかったのだろう。なぜあんな人を信じたのだろう。なぜ今も引きずっているのだろう。
そして気づけば、苦しみの原因だった出来事よりも、自分自身への評価の方が大きな負担になっています。
自己嫌悪が苦しいのは、単に落ち込むからではありません。自分を責めている状態では、自分が抱えている痛みを理解しようとする視点が失われるからです。本来であれば「何が起きていたのか」を見つめるべき場面で、「自分が悪かったのではないか」という裁判が始まってしまいます。
しかし少し視点を変えてみると、ここには興味深い思い込みがあります。
私たちは苦しんでいるとき、自分だけがうまく生きられていないように感じます。周囲は順調そうに見え、自分だけが取り残されているように見えます。しかし、それは脳の見せる錯覚でもあります。
人は他人の結果を見ることはできますが、その人の内面を見ることはできません。
穏やかに見える人にも不安があります。自信に満ちて見える人にも迷いがあります。人間関係がうまくいっているように見える人も、誰にも見せていない葛藤を抱えていることがあります。
もちろん苦しみの形はそれぞれ違います。
けれど共通していることがあります。
それは、誰もが人生の中で自分なりの課題を抱えながら生きているということです。
私たちは他人と比較するとき、自分の内側と相手の外側を比較してしまいます。だから自分だけが弱く、自分だけが未熟で、自分だけが苦しんでいるように感じます。しかし実際には、それぞれが見えない場所で試行錯誤を繰り返しています。
この事実が見えてくると、自己嫌悪の構造も少しずつ変わり始めます。
自分だけがおかしいのではなかった。自分だけが苦しいわけではなかった。自分だけが失敗しているわけでもなかった。
そう理解した瞬間に問題が消えるわけではありません。しかし少なくとも、自分を裁く必要はなくなります。
自己嫌悪は成長を促すように見えて、その実、多くの場合は視野を狭くします。なぜなら人は裁かれているときよりも、理解されているときの方が現実を正確に見られるからです。
だから苦しいときに必要なのは、自分を甘やかすことではありません。
自分を被告席から降ろすことです。
何が起きていたのかを理解する。なぜそうなったのかを知る。そして人間である以上、誰もが不完全な状態で生きていることを思い出す。
その視点を持てるようになると、これまで自分だけに向けていた厳しい評価は少しずつ緩んでいきます。
人生は優秀さを競う場所ではありません。
それぞれが自分の課題と向き合いながら進んでいく長いプロセスです。
そして、その事実が腑に落ちたとき、人は初めて「こんなに情けないのは自分だけだ」という孤独な思い込みから自由になっていきます。
自己嫌悪から抜け出す第一歩は、自分を好きになることではありません。
誰もがそれぞれの重荷を抱えながら、必死に生きているという現実を思い出すことなのです。