最近、はっきりと分かったことがあります。
私は長い間、相手の不安を受け止める役割を担って生きてきました。
家族、友人、パートナー。
立場は違っても、いつも同じでした。
相手が揺れる。
私は話を聞く。
整理する。
落ち着かせる。
そうすると関係は保たれる。
でも、そのたびに私だけが消耗していきました。
「話したい」と「対話したい」は違う
ある人とのやり取りで、それがとても分かりやすく表に出ました。
「見てほしい」「聞いてほしい」という相手。
私が少し自分のことを話しても、そこにはほとんど反応がありませんでした。
質問もない。
関心もない。
最初は少し寂しかったですが、その方が欲しかったのは、私の話ではなく、
「それでいいよ」「大丈夫だよ」と言ってくれる存在でした。
不安を預けて、安心したいだけ。
安定している人は、不安の置き場所にされやすい
「受け止めてくれそうな人」
「否定しなさそうな人」を相手は無意識に選んでいます。
一方が不安を投げ、もう一方がそれを受け止め続ける構造。
私はもう、自分が消耗されるその役割を続けたくありませんでした。
誰も傷つけずに、距離を取るという選択
コミュニケーションは本来、キャッチボールです。
ピッチャーの投球練習に付き合うキャッチャー形式ではありません。
キャッチャー役が好きな人も、練習に付き合うのが好きな人もいるとおもうので、それ自体は否定致しません。
ですが、私がプライベートの人間関係で求めているものはキャッチボールが成立するコミュニケーションです。
それができない人といると、こちらが消耗されるからです。
相手が嫌いなわけでもない、否定したい訳でもない、
お互いを尊重して付き合えるのなら、付き合っていきたい。
でも、感情を押し付けられたり、私の話題はスルーされたり、そこに私への尊重は見受けられませんでした。
だから、私は相手を拒否も否定も責めもせずに、「また今度話を聞かせてね」と線を引きました。
役割を降りても、世界は壊れない
今までにこの境界線を上手く引けずに勢いや感情で線を引き、そのまま人間関係を壊してしまった経験が何度かありました。
それはお互い気持ちの良いものではありませんでした。
相手の感情や不安を引き受けないということは、
関係を壊すことでも、誰かを切ることでもありません。
きちんとNOと自分で線を引くこと。
その際に、相手との関係自体を壊さなくてよいのです。
「背負わなくていい人生」への移行は、大きな決断や宣言ではなく、
きっぱりとした態度と揺るがない境界線を引くということ。
勢い任せではなく、優しい言葉や態度で示すことで自分も相手も傷つかずにすみます。
壊さなくてよい「優しい世界」を実感した出来事でした。