感情の扱いが上手い人、1人で生きることがデフォルトになってる人、物事の調節や構造整理が上手い人、そして、情が深い人に起こりがちなのが、
感情の受け皿になってしまうことです。
相手が感情的になったとき、黙って話を聞き、優しく声をかけ、整理して返す役割です。
そうすると多くの場合、相手は落ち着きます。
「ありがとう」「話してよかった」と言われ、関係は一見うまく回っているように見えます。
相手は自分を大切に思ってくれているようにも感じられます。
けれど、この構図が長く続くと、どこかで違和感が積み重なっていきます。
理由はシンプルで、感情の処理を一方が引き受け続けているからです。
感情は本来、感じた本人が抱え、向き合い、処理するものです。
それを誰かが代わりに受け取ると、その人は一時的に楽になります。
しかし、受け取った側は、目に見えない負荷を背負い続けることになります。
これは悪意のある行為とは限りません。
多くの場合、本人は無自覚です。
「聞いてもらえた」「分かってもらえた」という安心感だけが残ります。
一方で、感情の受け皿になっている側は、少しずつ削られていきます。
疲れや苛立ち、虚しさとして表面化することもあれば、
理由の分からない距離感として現れることもあります。
感情の受け皿をやめるというのは、冷たくなることではありません。
相手を突き放すことでも、関係を壊すことでもありません。
ただ、感情と課題を本来の持ち主に返すということです。
「それはあなたが感じたことですね」
「それはあなたが選ぶことですね」と、その位置に戻すだけです。
境界線を引くと、不安になる人もいます。
嫌われるのではないか、関係が壊れるのではないかと感じることもあります。
実際、距離ができる関係もあります。
けれど、それは今までの関係が、感情の受け渡しによって成り立っていたという事実が、表に出ただけとも言えます。
対等な関係は、誰かが受け皿になることで生まれるものではありません。
それぞれが自分の感情を引き受けた上で、並んで立つことで生まれます。
感情を受け取らない選択は、相手の成長の機会を奪うものではありません。
むしろ、その人が自分の感情を自分で扱うための、健全な距離です。
それで離れていくような人であれば、遅かれ早かれ距離があいてしまう相手なのです。
それが怖くて境界線を引けないのであれば、それが向き合うべき自分の課題となっています。