高取英さんの戯曲「不思議の國のアリス」を観るのはこれが3回目。
初見は月蝕歌劇団、2013年のひつじ座公演。
10代目トップ倉敷あみさんがアリスと雪絵を演じました。
その時の映像があるので予習復習がてらにそれを見てザムザ阿佐谷へ。
サイコシス「群論序説 不思議の國のアリス」。
少女アリスは妄想に耽っていた。
東北の寒村ではアリスによく似た少女雪絵が宮沢賢治の「春と修羅」を学んでいた。
富国強兵とは名ばかりの日本。
陸軍兵士安藤たちは昭和維新を掲げ二月二十六日にクーデターを起こそうと、若き革命家であり数学者ガロアを仲間に引き込む。
アリスと雪絵。
二人の少女のふたつの現象が仮定され
青い光は全てを巻き込み明滅すると鏡の向こう側にもまたアリスの姿があるのだった。
芸術と科学と信仰そして死。
鬼才作家高取英の初期作品、
誰も想像しなかったアリスの冒険。
(劇団HPより)
早いもので第6回の本公演。
「ドグラ・マグラ」からもう3年経つんですね。
暗黒のポプテピピックが懐かしい。
月蝕版もサイコシス版も上演時間はほぼ同じ。だけどサイコシス版のほうがなんか短く感じられます。
テンポ感の良さとそれを生み出す演者のスキルの高さがそう感じさせるのだろう。
そう書くと月蝕のほうが質が落ちるように見えてしまうがそうではない。
月蝕とサイコシスとでは目指す着地点が違うのです。
その違いが分かりやすく出ていたのは「田所先生」ではないだろうか。月蝕2013版で田所先生を演じたのは俳優ではなく漫画家の田村信先生。
田村先生の田所は、先生の実年齢に見合った飄々淡々とした田舎の先生。
対するサイコシス版は若いとは言わないが熱さ溢れる田所を当時の田村先生より20ほど若い小林由尚さんが演じました。
血気にはやる杉本先生を諌めたりハートの女王一味と戦う際の台詞はリアルに年齢の重みのある田村先生した似合いますが、生徒たちとの一体感は小林さんのほうが強い。
リアルな歳月の重みとスキルの対決。
大きく変わったキャラには「ハートの女王」もいる。
月蝕では沙夜さんが邪悪で得体のしれない存在感たっぷりに演じたその役をサイコシスでは國崎馨さんが演じました。
配役を見た時から間違いなくこれはハマり役だと確信。
ところが、女王國崎には思いもしなかった見せ場がありました。
娼館の女主人として黒い和装で客席を通る花道に現れた女王が始めたのは「歌謡ショー」。
まさかハートの女王がエンタメ要員に動員されるとは思わなかった。
でもそれがまたよくお似合いの國崎女王。
首を刎ねるための得物もくちばしが刃物になっているフラミンゴだったりして。
それを受け取って振り回す手下の野口(油絵博士さん)も著しく存在感のある役に変化していて、ショーではミラーボールを回したりして。
サイコシスが幅広い層に受け入れられているのは、こうしたエンタメ要素が月蝕以上に強くなっていて、それが現代の感覚にあったものになっていることもその理由のひとつだろう。
高取さんが盛り込んだギャグをあえて削ったりした部分もあったし。
脚本家が世を去っても、作品はこうして様々な色をまとって受け継がれて行くんですね。
サイコシス、来年は「盲人書簡」と「ドグラ・マグラ」をやるらしい。
「盲人書簡」は劇団初の寺山修司、それは寺山オリジナルなのか高取版でなのか。
「ドグラ・マグラ」は劇団初の再演、初演をどう超えてくるのか。
来年もサイコシスが楽しみです。
観に行く前に同僚に「不思議の国のアリスが作者のキャロルとともに二・二六事件に巻き込まれそれにガロアと宮沢賢治が絡んでる舞台観に行く」と言ってみたら、案の定「…どういうこと?」という反応でした。
それはそうだよね。
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