SNS全盛時代の今回のオリンピックでは
競技に集中していた今までの
オリンピックとは違い、いろいろなことを考える。
そのうちの一つが「自分の思う多様性」についてである。
国籍とか性別とか見た目とかの多様性についてはもちろん多くの国で
寛大になってきているけれど、
内面の多様性にも、世界はもっと寛大になれないだろうかと
考えるのである。
例えばインタビューひとつとっても
謝罪や感謝を丁寧に口にすることを
素晴らしい人格だと言う一方、
負けた時に悔しくてうまく答えられなかったり
言い訳してしまったりすることを
批判しすぎる気がするのである。
たくさんの選手がいる中で
「①思いやりと感謝にあふれ、負けたら
申し訳なく思い、自然に温かい心でいる人」
と、「②そのように思うのが立派だから
正しい態度でいなければならないと思っている人」
「③負けたら悔しくて腹が立ってしまったり
すぐには落ち着けなかったりする人」
などさまざまいることが当たり前で、
それらすべて「個性」である。
積んできた徳などもあるにはあるかもしれないが
自分たちのまわりの人間を思ってみれば
生まれ持っている「気質」というものは
大きいのではないだろうか。
②や③の人は、国際的に活躍する中で
自分の内面について悩んだことはあると思う。
国際的に活躍する選手は
心構えや表現の方法なども学ぶと聞いている。
自分の気質をカバーして言葉を選んでいる人も
いる。
「炎上」などを気にして
本音や名言などが出なくなっている気もする。
犯罪を行うようなことや
人を傷つけることはいけないが
そこまでひどいことでないのなら
たとえオリンピックという国際的な場面でも
もうすこしさまざまな人間性が肯定され
さまざまな態度や言語表現が認められてよいと思う。