ブログネタ:お気に入りの街 参加中
お気に入りの街としてまずあげるのは、前のブログにも書いた東京世田谷区の祖師ヶ谷大蔵です
娘が一人暮らしをしていた場所ですが、年に何回も遊びに行っていました(用事もないのに)
田舎者が都会に出て行って、はたして無事に暮らしていけるかなと、親としてはかなり心配していたんですが、都会とは思えないどこかのどかな雰囲気の漂う街で、生活するにもとても便利な街でした
小田急線の急行が止まらないのが難点でしたが、それでも新宿まで電車で30分もかからない所でしたので、とりたてて不便なこともありませんでした
ウルトラマンの曲の発着音で出迎えてくれ、表にはウルトラマン像が立つ駅です
何でも揃うウルトラマン商店街
娘のアパートの隣には美味しいお団子屋さん
そして何軒か先には、美味しいお惣菜を量り売りするお店が~
私達も遊び疲れて帰ってきたときは、つい買っちゃうこともありました
数軒先には町医者の先生という雰囲気なのに、オシャレなビルの中にある内科医院や、整形外科も同じビルに入っていました
すぐ近くに病院があるというのは、親としても安心ですよね
娘が住んでいたのはたった5年でしたけど、都会なのに故郷のような気がする街でした
そして次は、私達夫婦が自営業をしていた街、名古屋市名東区の高針もお気に入りの街としていまだに心に残っています
三越のある星ヶ丘まで10分とかからない便利な街
東山動植物園も近くなので、子供を連れて何度も遊びに行きました
そういえば忘れられない思い出が
要注意と書いてある、かなり気の荒い虎(名前を忘れちゃいました)がいる檻の前で、友達親子と虎を見ていたら、遠くからいきなり唸り声をあげて檻に飛びかかってきたんです
一瞬のことにびっくりした私達
檻があることを忘れて、私はしっかり娘に覆い被さり動けずにいました
ふと横を見たら友達の子供2人が泣いています
あれ友達はと周りを見たら、友達2人は子供を置き去りにして離れたところにうずくまっていました
日ごろ、私に対して『子供が子供を育ててるみたい』なんて言ってた友達
友達からその言葉を聞くことは2度とありませんでした
って、余計な話はさておいて
近くには大きな公園、そして美味しいランチをリーズナブルなお値段で食べられるカフェやレストランがあちこちにあり、オシャレな雑貨屋さんや美味しいケーキ屋さんもたくさんあります
自営業のお店を廃業したあとも、ずっと住み続けたい街でしたが、実家の事情もありこちらへ戻って来ることになってしまいました
ただ、娘や息子を通してできたママ友と、今では昔からのお友達のように、ずっとお付き合いできてることが嬉しいです
名東区は転勤族の方が多い街だったので、その頃のお友達は、また転勤で関東方面や関西方面とあちこちへ引っ越して行ってしまいましたが、寂しいけれどそれはそれで遊びに行ける場所が増えたと思うことにしています
そして最後になってしまいましたが、やっぱり一番のお気に入りは地元の街です
なんて言ってますが、10代の頃に地元を出て名古屋に行ってしまったので、名古屋時代が長く、自営業をやめて戻ってきたときは、また名古屋に戻りたいなぁといつも思ってました
まず途中からの親(自分の親です)と同居のストレス
そして、親と同世代の近所の方達の過干渉
名古屋にいるときにはそういうストレスは全くなかったし、自分の思ったように生活していたので、まずそれがこちらでの暮らしをちょっぴり憂鬱なものにしていました
でもそれにもいつしか慣れ、こうして日々暮らしていると、若い頃とは違った目線で地元の街を眺めている私がいます
それにはブログを始めたことが大きいように思います
ちょっとしたことにも感動するようになったし、すぐ写真を撮るようにもなりました
こじんまりとした街ですが、遠くを見やれば美しい山並み
駅の近くには、そこそこ川幅のあるゆるい川が流れていて、道には橋が架けられています
それぞれの道に橋が架けられているので、それほど離れていない間隔で何本も橋がかかっているんです
そのうちの一つは大井橋と言って、橋の欄干に歌川広重(安藤広重)の浮世絵のレプリカが何枚も並んでいます
街中には『中山道広重美術館』もあるんですよ
歌川広重は『東海道五十三次』や『江戸名所百景』を描いた、ゴッホやモネにも影響を与えたといわれる世界的にも有名な浮世絵師です
市民は無料の日があるので、何回か足を運んでいます
歌川広重のお話はまた後日ゆっくりさせてくださいね
中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十六番目の宿場町『大井宿』のあった街なので、格式高い本陣の門や、格子戸のある庄屋宅で町屋を体験できる『ひしや資料館』、うだつ(屋根の両端を一段高くし、火災の時の類焼を防ぐ防火壁のことなんですが、後に装飾が施され富の象徴と言われるようになったそうです)と黒壁の美しい旧家などが静かにたたずみ、ところどころに大井宿の名残が見られます
前回のブログでも書きましたが、明知鉄道でグルメ列車を楽しんだり、途中駅のその土地々の味わいある催しを堪能したり
恵那峡と言って、昔は大勢の観光客が訪れていたとても景観の素晴らしいところもあります
遊覧船に乗って春には桜、秋には紅葉を愛でながら、まわりにそびえ立つ崖にある数々の奇岩を眺めることができます
景色は何も変わっていないのに、訪れる人が昔と違って激減してしまったのが寂しいです
なぜそんなことになってしまったのか、いろんな憶測が飛び交っていますが、なんとか昔のように活気が戻って欲しいなぁと思います
駅前通りはシクラメン通りと名付けられており、シクラメン発祥の地とされていることからシクラメン祭りというイベントもあります
1月のブログでも書きましたが、何百年も前からある恵比寿様のお祭り『七日福市』
そしてお盆踊りで賑わう『夏祭り』、秋にある美濃路の収穫の秋を満喫できる『みのじのみのり祭り』では松茸を炭火で焼いて食べるイベントも
地域活性化に力を入れている地元ならではの楽しいお祭りがいっぱい
昨年のブログでもご紹介した、美味しい栗きんとんのお店もいっぱいあります
まだまだ書ききれませんが、いいかげんにしてと言われそうなのでこのへんで~
この街に住んでいることが、やっと誇りに思えるようになりました
近くのカフェで、また美味しいスイーツをいただいてきました
手作りの小さめのスイーツが2つ選べるセット
果物のゼリーにチーズケーキ
とっても美味しかったです
どんどんダイエットの文字が遠のいているのを実感しています
またまた長くなってしまいましたが、今日も読んでいただいてありがとうございました
ペコデコ
お気に入りの街としてまずあげるのは、前のブログにも書いた東京世田谷区の祖師ヶ谷大蔵です
娘が一人暮らしをしていた場所ですが、年に何回も遊びに行っていました(用事もないのに)
田舎者が都会に出て行って、はたして無事に暮らしていけるかなと、親としてはかなり心配していたんですが、都会とは思えないどこかのどかな雰囲気の漂う街で、生活するにもとても便利な街でした
小田急線の急行が止まらないのが難点でしたが、それでも新宿まで電車で30分もかからない所でしたので、とりたてて不便なこともありませんでした
ウルトラマンの曲の発着音で出迎えてくれ、表にはウルトラマン像が立つ駅です
何でも揃うウルトラマン商店街
娘のアパートの隣には美味しいお団子屋さん
そして何軒か先には、美味しいお惣菜を量り売りするお店が~
私達も遊び疲れて帰ってきたときは、つい買っちゃうこともありました
数軒先には町医者の先生という雰囲気なのに、オシャレなビルの中にある内科医院や、整形外科も同じビルに入っていました
すぐ近くに病院があるというのは、親としても安心ですよね
娘が住んでいたのはたった5年でしたけど、都会なのに故郷のような気がする街でした
そして次は、私達夫婦が自営業をしていた街、名古屋市名東区の高針もお気に入りの街としていまだに心に残っています
三越のある星ヶ丘まで10分とかからない便利な街
東山動植物園も近くなので、子供を連れて何度も遊びに行きました
そういえば忘れられない思い出が
要注意と書いてある、かなり気の荒い虎(名前を忘れちゃいました)がいる檻の前で、友達親子と虎を見ていたら、遠くからいきなり唸り声をあげて檻に飛びかかってきたんです
一瞬のことにびっくりした私達
檻があることを忘れて、私はしっかり娘に覆い被さり動けずにいました
ふと横を見たら友達の子供2人が泣いています
あれ友達はと周りを見たら、友達2人は子供を置き去りにして離れたところにうずくまっていました
日ごろ、私に対して『子供が子供を育ててるみたい』なんて言ってた友達
友達からその言葉を聞くことは2度とありませんでした
って、余計な話はさておいて
近くには大きな公園、そして美味しいランチをリーズナブルなお値段で食べられるカフェやレストランがあちこちにあり、オシャレな雑貨屋さんや美味しいケーキ屋さんもたくさんあります
自営業のお店を廃業したあとも、ずっと住み続けたい街でしたが、実家の事情もありこちらへ戻って来ることになってしまいました
ただ、娘や息子を通してできたママ友と、今では昔からのお友達のように、ずっとお付き合いできてることが嬉しいです
名東区は転勤族の方が多い街だったので、その頃のお友達は、また転勤で関東方面や関西方面とあちこちへ引っ越して行ってしまいましたが、寂しいけれどそれはそれで遊びに行ける場所が増えたと思うことにしています
そして最後になってしまいましたが、やっぱり一番のお気に入りは地元の街です
なんて言ってますが、10代の頃に地元を出て名古屋に行ってしまったので、名古屋時代が長く、自営業をやめて戻ってきたときは、また名古屋に戻りたいなぁといつも思ってました
まず途中からの親(自分の親です)と同居のストレス
そして、親と同世代の近所の方達の過干渉
名古屋にいるときにはそういうストレスは全くなかったし、自分の思ったように生活していたので、まずそれがこちらでの暮らしをちょっぴり憂鬱なものにしていました
でもそれにもいつしか慣れ、こうして日々暮らしていると、若い頃とは違った目線で地元の街を眺めている私がいます
それにはブログを始めたことが大きいように思います
ちょっとしたことにも感動するようになったし、すぐ写真を撮るようにもなりました
こじんまりとした街ですが、遠くを見やれば美しい山並み
駅の近くには、そこそこ川幅のあるゆるい川が流れていて、道には橋が架けられています
それぞれの道に橋が架けられているので、それほど離れていない間隔で何本も橋がかかっているんです
そのうちの一つは大井橋と言って、橋の欄干に歌川広重(安藤広重)の浮世絵のレプリカが何枚も並んでいます
街中には『中山道広重美術館』もあるんですよ
歌川広重は『東海道五十三次』や『江戸名所百景』を描いた、ゴッホやモネにも影響を与えたといわれる世界的にも有名な浮世絵師です
市民は無料の日があるので、何回か足を運んでいます
歌川広重のお話はまた後日ゆっくりさせてくださいね
中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十六番目の宿場町『大井宿』のあった街なので、格式高い本陣の門や、格子戸のある庄屋宅で町屋を体験できる『ひしや資料館』、うだつ(屋根の両端を一段高くし、火災の時の類焼を防ぐ防火壁のことなんですが、後に装飾が施され富の象徴と言われるようになったそうです)と黒壁の美しい旧家などが静かにたたずみ、ところどころに大井宿の名残が見られます
前回のブログでも書きましたが、明知鉄道でグルメ列車を楽しんだり、途中駅のその土地々の味わいある催しを堪能したり
恵那峡と言って、昔は大勢の観光客が訪れていたとても景観の素晴らしいところもあります
遊覧船に乗って春には桜、秋には紅葉を愛でながら、まわりにそびえ立つ崖にある数々の奇岩を眺めることができます
景色は何も変わっていないのに、訪れる人が昔と違って激減してしまったのが寂しいです
なぜそんなことになってしまったのか、いろんな憶測が飛び交っていますが、なんとか昔のように活気が戻って欲しいなぁと思います
駅前通りはシクラメン通りと名付けられており、シクラメン発祥の地とされていることからシクラメン祭りというイベントもあります
1月のブログでも書きましたが、何百年も前からある恵比寿様のお祭り『七日福市』
そしてお盆踊りで賑わう『夏祭り』、秋にある美濃路の収穫の秋を満喫できる『みのじのみのり祭り』では松茸を炭火で焼いて食べるイベントも
地域活性化に力を入れている地元ならではの楽しいお祭りがいっぱい
昨年のブログでもご紹介した、美味しい栗きんとんのお店もいっぱいあります
まだまだ書ききれませんが、いいかげんにしてと言われそうなのでこのへんで~
この街に住んでいることが、やっと誇りに思えるようになりました
近くのカフェで、また美味しいスイーツをいただいてきました
手作りの小さめのスイーツが2つ選べるセット
果物のゼリーにチーズケーキ
とっても美味しかったです
どんどんダイエットの文字が遠のいているのを実感しています
またまた長くなってしまいましたが、今日も読んでいただいてありがとうございました
ペコデコ