この10年くらいの介護してた間は

どうしても観たい展覧会だけは物凄い速さで観て

慌ててタクシーで帰宅とかしてたのだが

今は独り暮らしになったので

先日、日本橋高島屋に上村松園展を観に行った際には

行きも帰りもよく歩いて散歩も愉しみながら

デパートの中も地下食以外の売り場も観て回った

 

こんな自由な時間を満喫できるなんて・・・

幸せを嚙み締めながら歩いてると

素晴らしい展示会に遭遇

 

 

サハリンの少数民族の生活を

再現したジオラマが会場前にあった

 

 

トナカイがカワ(・∀・)イイ!!

 

 

庭先で魚の干物を作ってる

 

 

一匹一匹が丁寧に作り込まれてるな~と

感心しながら展示会場を覗いてみた(入場無料)

 

 

動物の毛皮で作られた衣服や装飾具、室内履きが

寒い土地であるコトを思い起こさせた

 

狩猟・漁労・採集で自然からの恵みを享受し

酪農も家族を賄う分だけの家畜を飼っていたという感じ?

 

 

だから自然に対する敬意・畏怖の念が

謙虚な信仰心を育むのだろう

 

そんなコトをつらつらと思い描きながら観てたが

トナカイの朴訥な愛らしさにはやられたw

 

 

厳しい極寒の地に住む優しい心暖かな人

そういう好い人間が慎ましく生活する美しさにほっとした

 

そんな素晴らしい展示を偶然(しかもタダで)観れただけでも

信じてもいない神にさえ感謝したくなるが

「大切なものを収める家」というタイトルに泣けてきた

 

おとっつぁんが晩年を慎ましくも愉快に

独りで暮らしていた家を断捨離したばかりだよw

 

いや、生きるって厳しいコトで

持て余す程のモノは処分するのが現代日本では必須で

それは確かに断捨離という諦念の修業なのだ

 

さて

Evernoteのメモをnote.comに移行作業中だが

かつての偕成社少女世界文学全集で読んだ名作を再読すべく

その児童版は無理でも完訳版を探す旅の途中で・・・

 

 

 
GW前には↑ここまで↑
そしてGW終わってなんとか↓ここまで↓

 

 
GW後半はシランパーの『少女シリアの死』の完訳版

『若く逝きしもの』をずっと読んでて

本文383ページを最終日に読了

 

若く逝きしもの

 

この本は永らく絶版になってたので

まさか完訳版で読めるとは・・・長生きするもんだわ^^

 

原題はフィンランド語で『Nuorena nukkunut』

グーグル翻訳だと「若くして眠った」となり

なるほど『若く逝きしもの』なのか

 

シランパーもWikipediaではシランペーとなってて

この本ではシッランパーと小さい「ッ」が入ってるので

よくぞこの本にヒットしたわと感心する^^;

 

児童版はタイトルからしてもネタバレだが

実際、本を開くといきなりシリヤの死から始まり

なんでそんな死に様になったのかが父親まで遡って物語られる

 

ぶっちゃけ、あらすじはどうでもよく

フィンランドってそうなんだとか

繊細な描写から清らかな心情や美しい光景を思い描き

読んで脳内を掃き清め拭き清め整えるような作品

 

読後はむしろシリヤの死の悲しみが

癒されてるような気さえしてくる・・・

 

いや、惨い(むごい)のだけどね><

 

人生って確かに生きて死ぬだけなのよ

黙々と働くだけで生(せい)を費やし病に斃れて

死を予感してしまうと考える間もなく息絶える・・・

 

卑しい感情を一切持たずに生(せい)を終えるのは

なんと美しいのだろうと呆然とする

 

そんな思いで終盤を読んでる最中だったので

ジャッカ・ドフニ展に行ったのは単なる偶然ではない

 

厳しい極寒の地に住む優しい心暖かな人

 

その温度差を体感できたというのは必然だったのだ!!

 

こういうシンクロニシティ的な体験を伴うのが

読書の醍醐味と思ってるので

ベストセラーとか話題の本なんか読まないね

 

まあシランパー(シランペー)はノーベル文学賞の受賞者だがね