ハニカムヤーンと似た糸を組み合わせて

編み進んでるレース羽織

 

 

袖部分だけでストール1枚分編むから

さすがに時間がかかってる^^;

 

 

でもレースを編むのは愉しいし

糸のゆめかわいい色にも癒されるし

 

 

4月になっても寒い日が続いてるので

これくらい軽いモノを編むのにはちょうど好い^^

 

編み物が進んでないのは

まあ読書が捗ってるからというのもあって・・・

 

 

この1ヵ月の間ずっと中世哲学・中世神学を中心に

古代日本・古代ローマもちょっと・・・

 

それというのもロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の

古いブログ記事を書き直してるアップ中だからなのだ

 

中世哲学・中世神学を象徴する語に

哲学は神学の婢(はしため)

という語があるのはご存じだと思われ

 

しかしこれは誰が最初に唱えたのか?

 

ラテン語では以下のようになり

Philosophia ancilla theologiae

この語自体は

聖トマス・アクィナスの『Summa(神学大全)』5-1-1に

記されてはいるのだけど

ラテン教父アウグスティヌスの『神の国』で

神学が哲学より崇高であるとしてるのを受けて

わかり易く例えているのだと理解していた

 

つまりアウグスティヌス自身では

この語をそのままは用いておらずで

そうなるとこの語を造語したのは聖トマスであろう

 

ところがふとWikipediaを見てびっくり!

この言はペトルス・ダミアニによるとしてるのだった!!

 

確かに哲学を否定してるペトルス・ダミアニだが

聖トマスが哲学に寛容的で神学にとって必要という意味で

ペトルス・ダミアニが言ってるのと同じ語を

違う意味で用いるのはおかしいだろう?

 

ちなみにこの言に関連してると思しき人物の

生没年を表にしてみた

 

名前 生年 没年
アウグスティヌス 354年 430年
ペトルス・ダミアニ 1007年 1072年
カンタベリーのアンセルムス 1033年 1109年
ピエール・アベラール 1079年 1142年
トマス・アクィナス 1225年 1274年

 

もしもこの言葉が聖トマス以外によって発せられたとしたら

考えられるのはアンセルムスかアベラール(アベラルドゥス)だ

 

アベラールには自分は未読ではあるが

『神学と哲学の対話』なる著書があるくらいなので

いかにもそんな結論を書いていそうだと真っ先に思い浮かんだし

ピエール・アベラールはフランス語読みだが

ラテン語ではペトルス・アブラルドゥスとなるので

ペトルス・ダミアニと混同してるとも考えられる

 

あるいは実際にペトルス・ダミアニが著作の中で

この言を使ってるのだとしても

それは同時代のアンセルムスからの引用とか?

なんて、どうしても余り馴染みの無いペトルス・ダミアニが

この言を初めて言ったとは信じ難く・・・

だってそうだとしたら今、こんなに違和感を持ってなくってよw

 

いや、アンセルムスもかつて『プロスロギオン』を

古本屋で飛ばし読みしただけなのだがね

神の存在を「至高過ぎて人間が論ずるに可能なレベルではない」

などというような屁理屈で語れぬモノが神として

理論で理解を求められるレベルを哲学と論破してた印象なのと

初期スコラ哲学の権威でもあるので可能性を感じた

 

で、結論を言ってしまえば

2006年に出てる『中世哲学を学ぶ人のために』の53ページに

なぜペトルス・ダミアニなのかの答えがあった

哲学に否定的で「神学の侍女」に位置づけたペトルス・ダミアニ

つまり、ペトルス・ダミアニの論旨を表現するために

例えに「神学の侍女」という語を使って説明してるのだった!

 

これがペトルス・ダミアニから発せられた語であったなら

むしろこういう書き方はしないはず

「かの有名な語を最初に唱えたペトルス・ダミアニは

まさしく哲学を否定して神学より下位に位置づけたのだった」とかね

 

そして更に次のページでは

ペトルス・ダミアニとは異なる意味で哲学を「神学の侍女」に位置づけた(『神学大全』第1部1問5項)

と引用箇所まで明示して結んでるのだからして

やはりこの語は聖トマスが発したのだろうて

 

☆追記☆

コメントいただいた「コトバンク」には

典拠がペトルス・ダミアニ著『神の全能について』とあり

これを執筆したのが泉治典なので

この方なら原典を読んでるであろうと確信に至る

更に言えば、ペトルス・ダミアニって読み方がおかしいってか

イタリア人なのでピエトロ・ダミアーノなんだけど

もちろんこの時代ならラテン語で著述してるから

著者名としてはラテン語読みのペトルス・ダミアヌスというのもあり

仏語読みだとピエール・ダミアン、英語ではピーター・ダミアン

でもペトルス・ダミアニってのは何語読みなのだ?!

そしてダンテの『神曲』の天堂篇第21歌に出てくるのも

所有してる筑摩世界文学大系の野上素一訳では

基本的にはピエトロ・ダミアーノと表記されてるが

聖ピエル・ダミアーノ、ペトルス・ダミアーニなどともあり

なんとも表記にブレがある人名である

まあそんなワケで混乱しまくりだったが聖ピエトロで正解だったが

読んでも読んでも正解に辿り着けない(未だ辿り着けず)

凄まじい本の旅であったがこれこそが読書の醍醐味だ

 

 

それにしても飛ばし読みが得意な自分だって

肝心な部分はちゃんと理解したり確認したりしながら読み進むよ

 

ところが典拠を調べたワケでもないのに

無責任にWikipediaに書き込む暇人は迷惑千万な存在だな

 

こうして誤謬がネット上に散見するようになるのだ><

よく格言について取り上げてる人がいるが

実際にその前後を読んでなくてお前が1番勘違いだよっての多いw

 

☆追記☆

自分は自身で読んでなければ

たった一行だったとしても無責任に引用できない

生真面目な性格なのだと今回のコトで思い知ったのだったwww

 

「そんなこたあどうでもいんだ、はやくなでろよ」という目のはち

 

「パンダと婆やとどっちで遊ぼうかな?」と様子見に来るくま子