昨年の10月に描いたイラストだが

また使わせてもらう

 

 

昨日も今日も頭の上に手を乗せて歩いてたのだw

 

今回は痛かったのは

頭でなく右肩で

起き上がってる姿勢のままだと

右腕が痺れてくるのだが

頭をぐぐっと押さえると

少し痺れが和らぐのだった

 

土曜日の内に

行きつけの整骨院に行きたかったが

その日は洗面所の工事

 

 

お正月におとっつぁんが

ガラス瓶を落としたら

穴が開いてしまったのだね><

 

9時~9時半の間に来るというので

9時前には洗面所に収納してたモノを

全部出して待ってて

結局来たのは9時半過ぎで

13時まで工事は続いた

 

 

途中でぬこきっつぁんに

ちょっと番を代わってもらって

整骨院に行こうとも思い

様子を見に行くと

ぬこきっつぁんは珍しく起きてはいたが

ベッドに寝たままで足には

くまがしがみついてた

 

くまは超怖がりなので

工事音が堪えてるのだろう

 

 

一方、リビングに行きたいはちは

自分の足にまとわりついてきて

にゃごにゃご言ってるるる~

 

どうにもしようがなさそうなので

はちを押し戻して

そのままリビングに引き返し

頭を押さえながら

痛みと痺れをやり過ごした

 

 

洗面所に収納されてたモノも

必要最低限のモノだけは何とか戻したが

7割方出しっぱなしのままで

夕方からの町内会の新年会に出席するだけで

気力も体力も使い果たし

2次会なんて無理><

 

そして今日は整骨院がお休みだし

湿布をべたべた貼って持ち堪えるしかなく・・・

 

さて

自分が特定な宗教を信仰しナイのは

異教徒に対して不寛容だったり

同じ宗教を信仰してても異なる宗派では敵対したり

そういう負の面が耐え難いからだ^^;

正義の〇〇教徒が悪の異教徒を皆殺しにしても構わナイ!
いや、むしろそうすべき!!

21世紀にもなっても

未だにそんな憎悪が蔓延してて

無神論者の平和主義者は閉口するしかナイ><


スペイン人が新大陸において

原住民を惨殺した歴史的事実も
キリスト教徒は認知しつつ

キリスト教の名の下に正当である

としてるのはさもありなんw

いくら原住民の種族が残虐な宗教儀式を行ってたのだとしても
もちろん危害を加えられそうになったら正当防衛も必要だとは思うが
かのスペイン人たちは先住の民に対して先に危害を加えて
暴挙の限りを尽くしたのだからどこにも許す要素はナイ

 


『ロビンソン・クルーソー』の中で

改悛して神に祈る主人公が
何度も蛮人(食人種)を皆殺しにする計画を立ててるのが
彼の状況では自己防衛(自らが生き延びる安全策)のためもあり

仕方ナイかなとは思うものの

読者はどう受け止めてるのかを考えると

なんとも・・・

食人種を認めてるワケではナイが
戦士としてお互いが死力を尽くして戦った後に
勝った方が負けた方を食するのは

その土地では理に適った掟だったんだろう
と、理解は出来なくナイ(まあ、納得はしかねるけどね)

また豊穣や戦勝やらを祈願して

人間を供物(生贄)にするなんてのは
古くはワリとどの民族だって

やってた風習だろうに(賛成はしかねるがね)
それを咎めたり裁いたりする権利は

とりあえずキリスト教徒にはナイし
別の神の庇護下にある先住民の命を

どうにかする権利なんか
キリスト教の神にだってナイっつーのp(-_-+)q

キリスト教の神が唯一無二の普遍の神であると信じてるのは
キリスト教徒だけだってわかってナイのが痛い・・・

 


そもそもキリスト教圏でだって

非キリスト者ってだけで
罪もナイ人間を拷問したり

異端審問で火刑に処したり

そんなのがまかり通るのかって
近代的な道徳観念からしたら

それも食人種と同じく奇異だろうて?!

キリスト教の本質は

ユダヤ教の時代からそうで
いつでもどこでも侵略者でしかナイのに
まるで神に代わって

残忍な種族を退治したみたいに聖者面して
他民族の犠牲の上に成り立ってるのが

恐ろしく感じるのだけど・・・

((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

『ロビンソン・クルーソー』はまさにそれで

主人公は自身が蛮人皆殺し計画を立ててるのに

それを実行したスペイン人を悪し様に罵るのだヽ(゚∀。)ノ

大航海時代にイギリスとスペインは
海洋(新発見の大陸=植民地)の覇権を争ってたから
仲が゚+.(・∀・)゚+.゚イイはずもナイが
スペイン人が基本的にカトリックであるため
イギリス人の中でも特にピューリタン(清教徒)は

スペイン人に苦手意識もしくは嫌悪感さえ

抱いてたに違いナイだろう

そういやロビンソン・クルーソーが

ブラジルに永住する気がなかったのも尤もだな
ブラジルはカトリック国なのだからして
デフォーの本音ぽいかw

 


改悛が必要な不埒さなら
自分だって持ち合わせてはいるが
それはよほどのアルコール摂取によって
正気を失ってる場合に限ったコトで
むしろ正気でありさえすれば
頼まれても不埒な行いは出来まいて!

自分は信仰心など微塵も持ち合わせてはいナイが
神の目も誰の目も触れナイと思ってても
社会的に与えられた役目はきちんとこなすし
道徳的な配慮を怠るコトはナイ

自分自身を満たす工夫もしてるが
損を被ったとしても必要とあらば

他人に尽くす、譲る、そして許すけどね

信仰心からでなく
フツーに考えて道徳心を持ち
かつその心のままに実践してるから
あえて【戒め】を必要としナイ

神がいようがいまいが
日本人は生まれつき道徳観念があり
放っておくと野蛮になるようには出来てナイと思われ

神、神、と連呼しては

いちいち話をこじつけて
自身に言い聞かせるってやり口は
日本人には到底共感できそうにナイな。(´д`;)ギャボ

現代日本人の潜在意識には

キリスト教はもちろんだが
宗教が土壌として培われてナイワリに
信仰心が皆無ってワケでもなく

無神論者を称する自分も

なかなか信心深かったりするくらいだw

だからこそ
異民族や異教徒を
略奪しても殺しても構わナイなんて
敵視する相手もいなければ

憎悪を抱きようがなく・・・


しかし困ったコトに
最近は野蛮な日本人が増殖してきたような。(゚д゚lll)ギャボ

彼らにとっての「改悛の書」はあるのだろうか?