若くして国の為に飛び立った地 知覧へ足を運びました
知覧特攻平和館
二度目です。(一度目は5年前くらい)
太平洋戦争当時 陸軍の特攻基地が置かれていた場所。
写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されています。
1036の遺影柱が見えてきた時から 居た堪れない気持ちになりました。
特攻平和会館は大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、沖縄決戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、一機一艦の突撃を敢行した多くの特攻隊員の遺品や関係資料を展示しています。
最後の盃を乾杯する写真
出発20前の最後の食事の写真
最後の夜も雑魚寝の寂しい場所の写真
美しい字で書かれた 両親 兄弟への最後の手紙
骨も残るはずも無いので 替わりに爪と髪の毛を残して行ったそうです。
この特攻隊のお世話をしていた富屋食堂の 鳥浜トメさん
出撃日、特攻隊員が「ホタルになって帰ってくるよ」
その夜ホタルが一匹 トメさんと部隊は涙を流したそう。
この日、慰霊祭が行われており、遺族が参列されていました。
そして、先月は 沖縄にある 平和祈念資料館へ
ひめゆりの塔
看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものの名前。
通称としてひめゆり部隊と呼ばれる
222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は沖縄陸軍病院の看護要員として動員。
しかし、敗色濃厚となり突然解散命令が出され、約1週間の間に多数の犠牲を出したそうです。
今の時代では考えられませんね
まだ65年しか経っていないのか・・・