昨日夫と共に母に会いに行きました。



3月、4月は横浜の姉と待ち合わせて

姉妹揃って初めて母を訪ね短い時間でも

母も笑い、穏やかなしみじみとした時を

共に過ごすことができました。



本来なら予定していたのはもう少し先

だったのですが

今月始めに施設の看護師さんから

夜間の母の状態で気になることを伺い

心配になったので

前倒しして母の様子を見に行くことにしたのです。



看護師さんのお話では

母の食事量が更に減ってきたことで

急に夜間に限って幻覚をみる状態に陥ったようです。


私もいろいろ調べてみると

認知機能の衰えとはまた違うようで

(認知機能が関係する場合少しずつそういう状態になり、急な変化はない)

食事が摂れなくなったことで

血流が悪くなりそれに伴い

体内に送られる酸素量も減っていき

脳に送られる酸素量も減ることで

幻覚をみたりするような変化があるようです。

(原因はいろいろあるようですが、母の場合を考えると夫もそのように推察していました)



連絡を受けた時も眠れなくなることで 

ただでさえ食べられない母の身体が

激しく消耗することをとても心配されて

睡眠導入剤の使用を考えておられて

その際の家族の同意を確認するものでした。




会いに行った時には母は

お薬を処方してもらい眠れるようになり

日中のデイサービスにも参加していました。

夫の顔を見てとても喜んでくれて

私と夫が元気であることにも

安心してくれて

母が過去に作った和紙ちぎり絵の作品が

載っている作品集を一緒にみながら

きれいなお花や風景について

夫が話すことに一生懸命応えてくれていました。



3月、4月に会いに行った時も感じたのですが、母の手はとても冷たく

あまり食べられないことで自ら身体を

温めることが難しくなっているように

思えました。



母の手や身体を温めてあげたいな


母の心も温めてあげたいな



そう思った私は

5月に母に会いに行く時には

まず手袋とストールで母の身体を温めて

私と夫の元気な顔をみせて安心してもらい、母を温めたいと思っていたので

会って早々に母の膝に母の好きな色の

ラベンダー色の薄手のストールをかけて

指先だけ少し開いた薄ピンクの手袋を

両手にはめてあげてから

ゆっくり、少しずつ話をしました。



母は指を手袋に自分で通すことが

困難になっていました。

食べられなくなったことの弊害が

そんな一つの動作からもうかがいしれ

母の状態の変化が感じられました。



また話しているうちに

母が背中をもぞもぞさせて

心地悪そうにしていたので

どうしたのか聞いてみると

背中が痒いけれども自分でかけないので

「私が掻いてあげるよ。」と

母の背中に触れてみると

背骨も肩甲骨も骨がくっきりとでて

母がとても小さくなっているのに気づきました。



母の顔がそれほど痩せていないことと

いつも洋服で身体はおおわれていて

小さくなっているのはわかっても

直接背中に触れることもなかったので

その変化に気づきませんでしたが

少しずつ母の状態は

進んできているのだなと思いました。



ぽっちゃりしていた母が小さくなり

両足の脛も細く骨がくっきりとでて

手がとても冷たくなっている様子に


活動的でいつも忙しく動き回って

身体も両手もポカポカだった

以前の母を思うとやはり

とても切ない気持ちになりました。


でも

どんな母であっても私は大切に

母を見守り続けていこうと

決めていました。



それは、父の魂が元の場所へ還ろうと

身体が少しずつ眠りに向かい始めて

大人意識の私がインナーチャイルドの

悲しみに寄り添って感情を受けとめ

支えていた時、励ましていただいた

リブラさんからの言葉があり

それを支えに父と魂意識の交流で繋がり

父を穏やかに見送ることができていたからです。




衰弱していく父を見守るのは辛いこと

という気持ちを察して下さった上で



でも今、大切な親子の時間である

ということ


たとえそばにいる時間が短かったとしても、生きてうちにできることはやった

と思うと後で悔いは残らないということ


心の中で記憶を辿って父と過ごした

安らかな出来事や平穏な日常の風景を

思い出してみるといいこと


笑顔や喜んでいる場面など

記憶を辿るとどこかで見つけることができるということ


父との大切な時間で思い出となるシーンを記憶に刻んでおくとよい

ということ

(のちに記憶を頼りに思い描くことができる)



今私は、母との大切な時間を

会った時に過ごしています。

また会えていない時にも母を思い

今の状態を受け入れつつも

昔母が、私や夫、息子にとても細やかに

尽くしてくれたことなどを

いろいろと思い出し

温かい思いに包まれます。




身体が思うように動かず

母が辛く感じられることも

決して少なくはないだろうと思います。


でも母が生まれて今生を生きて

やがてまた元いた場所に還るまでを

私や姉2人の「子供たち」に

ありのままにみせてくれることで


「人が生きて還っていくこと」が

どういうことなのか


教えてくれているように感じています。




6月には千葉に住む姉も初めて加わり

姉妹3人で母に会いに行きます。

私たちが母の顔をみて

母も娘たち3人の顔をみて

短くても一緒に過ごす時間がもてる

ということ


あまり言葉をたくさん交わさなくても

もう、それだけでいいような気がしています。


母の魂と繋がっていることがわかるから

静かに穏やかな時を共に過ごしていこうと思っています。



今はただ「母に会いたい。」

(どんな母であっても)



そういう思いでいっぱいです。






お読み下さってありがとうございますおねがいラブラブ