昨日、手話サークルがあった。

 

みんなでの手話の勉強中。先輩二人が私の手話について、「こうした方がいいよ」と教えてくれた。

 

昔は、教えてもらえるという感覚よりは、ミスを指摘された、と落ち込んでいたのだが・・・。

 

でも、この人、言ったら落ち込むだろうなとか、教えても無駄、と思われるより、教えてあげたいと思って、教えてもらえる方が断然お得ラブ昨日も先輩二人に指摘されて、手話の基本ってそこやんな、と勉強になった。

 

私と同じ年代でも、間違いを教えてもらいやすい人と教えてもらいにくい人がいる。

 

きっと私は、この人はこうした方がいいよと言って指摘しても逆恨みもせず、正当に受け止めてくれるだろうと認識したうえで、いろいろと教えてくれているのだろうと思う。

 

しかし、もうサークルも六年目。もう後輩もたくさんでき、教える立場なのだが、相変わらず、先輩に教えられる日々。あ~、そこは悩む。

 

でも、最近、嬉しかったのは、後輩二人が、たくさんの先輩がいるなかで、「いつきさ~ん」と私の名前を言って、走って来てくれたこと。

 

親しく思ってくれているんだなと嬉しかった。

 

先輩も、「いつきさん、その手話はこうした方がいいよ」と教えてくれるのは、親しく感じてくれているからだろう。

 

昨日、教えてくれてありがとうと手話で返事したら、先輩が笑ってくれた。

 

あ~、勉強、勉強~~~。物事は深く知れば知るほど、奥が深い照れ

 

これからも、勉強は続く~~~ラブ頑張ろうラブ

 

 

 

 

週に一度、父のお見舞いに、行っている。

 

いつもは主人と行くのだが、昨日は、妹と二人で行ってきた。

 

コロナの関係上、病棟に入れるのは一日二人、十五分だけ。

 

妹と一緒に部屋に入って行ったら、父が顔を見るなり、「有難う」と言ってくれた。

 

とても元気そうで、怪我をした足もスムーズに動かしている。

 

でも、妹を「いつきのお母さんか?」と言ったり、私の住んでいる場所は「阪神か?」と聞かれたり、30年前に亡くなった「おばぁ(父の母)はどうしてる?」と聞かれたり・・・。頭が混沌としているらしい。

 

でも、十五分、久しぶりに、笑顔で穏やかな父と話せた。これまでずっとしんどそうにイライラしていたから。

 

面会の後、妹と私と母と私の主人の四人で、父の主治医との面談。

 

「薬はいれていないけれど、頭のくも膜下出血のほうも、目の奥の骨折も、足の骨折も治ってきています」と主治医が丁寧に説明してくれた。同席してくれた昨日担当の看護師さんに、「どのぐらい食べていますか?」と尋ねたら、「十割食べられています」と言われ、びっくりびっくりマーク十割って、全部食べているということやんびっくりマーク

 

メッサ元気やん、お父さんびっくりマーク

 

でも、主治医から、「お父さんの体力次第だけれど、来年二月ぐらいかなぁ」と言われました。

 

また、「そろそろ転院を考えてください」と主治医に言われました。救急病院だから、治療が済むと、出ないといけないのです。

 

でも、妹は、「久しぶりにお父さんと穏やかに会話らしきものができて、自分の伝えたいことも伝えられて良かった」と言っていました。

 

転院にむけては、病院のMSWさんからの連絡を待って、転院先の病院の面談に行ってきます。

 

やること、山ほどあり。

 

自分が老いて、入院した時のことを考えると、子供もいないし、どうなるのか、老後私多分一人やん、と少々怖くなります。入院手続き、退院手続き、おむつを持って行ったり、医者の面談、転院・・・・。自分が一人になったときの体制が必要と考えさせられる昨今です。

 

ともあれ、父が元気で良かったです照れ

 

 

友達が亡くなって、16日が経つ。

 

これまで、いろんな人を亡くしてきたが、いずれも、私より年上の、いわば、先に亡くなる人だった。

 

だが、友達は違う。同じ年で、30年来の友達で、これからもずっと人生を一緒に歩いてくれる予定の人だった。

 

癌になったと知ったときから、こういう日が来ることも覚悟はしていたけれど、あまりにショックが大きすぎて、前を向こうにも向けない。

 

朝起きて、少なくとも料理はできているが、そのほかは、力が出ず、寝てしまう。

 

そんな時、主人が私の気持ちに、共感してくれて、ほっこりした。

 

「そうだよね。君と彼女は本当に仲が良かったし、毎日、Lineをしてたもんね」「彼女の君への信頼は本当にゆるぎなかったよね」「本当に大きな存在だったよね」

 

私にゆっくり言ってくれた言葉に安心した。

 

「死は絶対だと本当に思い知った」。私が言うと「そうだね」と言ってくれた。

 

その他のことは移ろうけれど、死は絶対だ。揺るぎのなかった自分の人生の基盤が彼女の死で、揺らいでいる。

 

でも、彼女が最期まで、私を信頼し、父のことで悩んでいる私を案じてくれたのは、変わらない。それも絶対変わらない事実だ。

 

いつか前を向けますように。人を信じ、人に癒されていきますように。

 

主人が寄り添ってくれた。

 

 

 

 

福岡の30年来の友達が亡くなって十日が経つ。

 

ふとした時に、そう、手紙を書こうと、ボールペンを持った時、撮った写真を送ろうと思ったとき、もういないんだなと、ふっと思う。

 

寂しい。

 

いきものがかりの「歩いていこう」を聴いていた。アルバム「バラー丼」の中の曲。

 

ーーーーー君と泣いて 君と笑って 僕は強くなれたんだろう

君がくれた言葉はここにあるよ

そうだよ 歩いていこう

 

今の僕はあの日の君に 胸をはれるのかな

 

さよならさえ ありがとうさえ 

もう君にはいえないけれど

季節は今 確かに変わっていく

そうだよ

はじめるよ

 

歩いていく 歩いていく

僕の「今」を生きていこう

君がくれた言葉はここにあるよ

そうだよ 歩いていこうーーーーー

 

今の僕はあの日の君に 胸をはれるのかな

 

その歌詞に、ウっと思う。ふとした時にめそめそ泣いてばかりの私。胸をはれているのかな。

 

泣いてばかりの私を、天国の彼女はきっと心配してる。笑って笑っていつきさんって。

 

君がくれた言葉はここにあるよ。

 

そう、確かにある。彼女がくれた言葉は胸のなかに確かにある。

 

歩いていこう。「今」を歩いて行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

ワーワー喚き散らし、自分勝手で、家族の気持ちはともかく自分の気持ち最優先に生きた父。

 

イライラしたことも我慢を強いられたこともたくさんある。苦しかったこともたくさん。

 

でも、父が生きる時間はもう残り少ない。はやければ二か月あるかないか・・・。

 

父は毛布工場の社長で、経営戦略には疎かったが、毛布職人として、良い毛布をひたすら作り、浮気もせず、賭け事もせず、生きてきた。

 

頑固で、人の意見を聞かず、子供っぽくて、やりにくい人ではあったけれど・・・。

 

でも、そんな父からもらったもの。

 

真面目であること、正直であること、そして、自分の意志を貫くこと。

 

私の性格の根幹をなす三つのものを貰った。

 

勿論、私が病気の時には、父なりの優しさもくれた。

 

ワーワー喚き散らし、欠点が目立つ父だったが、大事なものもくれていた。そう気付くと胸が詰まる。

 

もう本当に父との時間は残り少ない。

 

父に付き合った55年は大変だったけれど、私の人生の大事なものを育んだ時間でもあった。

 

こうして、感謝の気持ちで、父と向き合えるようになったことは、たぶん、今、まだ生きている父からのプレゼントなのだろう。

 

有難う、お父さん。