自称 幕末オタクの私ですが、新選組に関することにはあまり関心がない。佐幕派の味方にはなれないというのもあって、あまり調べたりしていません。土方さんは好きだし、沖田さんも好きだけど、なんとなく惹かれるものが少なかったような気がする。



それの比べると攘夷派は色々な生き様があって、感心させられるとともに、その生き様に惹かれる。武市半平太や岡田以蔵。有名な坂本龍馬もそうですが・・・・。



艶が~るで初めて知ったのが古高俊太郎さま。

最初はただの軽い人なのかと思ったけど、あの主人公への甘さや惚れ具合には、こっちが惚れちまうラブラブ!

今は鏡と花ENDしか見てないけど、それでも


「あんさんの時代に吹く風に、きっとわての欠片がおます。死んだ仲間たちの意思がおます」

「あんさんがその時代で、幸福な人生を暮らせるんやったら・・・・」

「そこにわてはいます」


一緒にいたいのに志を捨てられない、仲間死なせてしまったことを後悔して。

結局、主人公と一緒にいることを選べなかった。

泣きそうになりました。

幸せになって欲しいのに・・・しょぼん




それでは実際どんな人だったのか・・・・。

あまり資料にないのかな。池田屋事件の発端を作った人として有名なのだけど。さっきも言ったけど新選組関係には詳しくない。


俊太郎さまは毛利家の遠縁に当たるお方。父周蔵の代から毘沙門堂門跡任されていたようです。もちろん彼も父亡き後、31歳で跡を継ぎます。

公家とのつながり、毛利家血。加えて、商家の養子となった俊太郎様。この時、桝屋喜右衛門と名乗ります。桝屋家は大名家の御用達でもあったので、社会的に信用のおける商人でした。大名や公家が出入りしていても不審ではありません。やがて朝廷工作をするうえで好条件を持った人物と位置づけられます。


俊太郎サマ宛の書簡が45通見つかっている。問い合わせ依頼など、攘夷派の人たちが俊太郎さまを介して行っていたことが伺えます。有栖川宮と長州藩を結びつける大きな役割を持っていたのではないかと思います。長州は京都を追い出されていますから、京にいて橋渡しをする人が必要だったのです。しかも、信用のおける人。

俊太郎さまはそんな人だったのではないでしょうか?



長州の間者の総元締と武器調達をしていた俊太郎さま。結局、俊太郎さまを奪還するために起こったと言われる池田屋事件がおき、六角獄舎への延焼を恐れた牢番に殺されます。


何度も言いますが、私は池田屋事件が好きではありません。

でも、幕末で素通りできないものなのかもしれません。

自称 歴史オタクの私はこれからも幕末志士の探求をしていきたいと思います。