私の母は、無意識にサイキック能力を発揮する天才だったりします。
超がつくほどリアリスト
『現実的に考えたらそれはさぁ…』って感じで、ばっさりスパーンッ!と、割りきったりします。
現実逃避しようとすると、一言で現実に引き戻します。
的を射すぎていて、冷静にならざるを得なくなります。
だからスピリチュアル性なんてないかと思っていたのに、超サイキッカーだったんですねぇ。


不思議。

でも、ぜんぜん不思議じゃなかった。



私が幼稚園児のころ、母はリウマチを患いました。
あれって、寛解こそすれど、完治しない病気なんですね。
でも、『痛いって言ってたって治るものじゃないんだから、言っても仕方ないでしょ。良くなるって思ってなきゃ、やってられない』の精神で、パンパンに手が腫れ上がっていても家事を全部こなして、祖母の看病までやってのけたんですね。
そのうち、血液検査で陽性反応があっても、症状が出なくなっていきました。
そして、症状が出なくなって3回目の検査を終えたとき、『このまま消えちゃわないかなって思うのよね』と…。
その次の検査で、見事に陽性反応が消えていました。


さらにさらに、検査で見つからなかった乳ガンを自分で発見。
細胞が不揃いだった為、再発は免れないだろうと言われていたのに、転移もないまま10年以上も経ちました。
そのときの言葉は、『これで再発しちゃったらあんたを育てられなくなるじゃない。だからお母さんは死ねないのよ』でした。
え、私?
と、思いつつも納得してしまった一言。
(当時は10歳だったので)
ついでに、『もう手術台に乗るのは嫌!!』っていうのも、記憶に強く残っています。

しかし、それだけでは終わりませんでした。
難病になり、神経を傷つけてしまった為一度寝たきりになり、医師からもおそらく回復の見込みはないと言われる状態に。
基本的に、神経って傷つくと、ほとんど治癒されないらしいんですね。
手も足も動いているけれど、力が入らない。
感覚がない。
ベッドに寝たまま、私の腕はどこにあるの?と、聞くほどだったのに、起き上がることもできなかったのに、いつの間にか一人でトイレに行くようになり、3週間で退院。
今では早朝散歩を楽しんでいます。
そのときの言葉は、『このままじゃあんたの子供を抱っこできないじゃない!そんなの嫌よ』でした。
まだ私、高校生なんですけど…と思いつつも、じゃあ意地でも治さないとね!と答えた気がします。笑
散歩どころか、車の運転までしちゃってます。


つまり、超リアリストな母は、この病気があると生きるのに困難。
だから無くせば良い。
という精神で、見事に完治させちゃったんですね!
すごーい。


リアリストも突き詰めるとイデアリストみたいになっちゃうんですねー!
ちょっと笑っちゃいました。



そんなわけで、私にも不可能を可能にする精神はしっかりと受け継がれていて、スピリチュアルな仕事にまで発展しています。
不可能って、思っているときは本当に不可能だと思います。
それは、疑いようのない事実であると確信を持っていれば持っているほど、その事実を変えることは不可能。
でも、それが不可能ではないかもしれないと思えたら…。
思った瞬間、可能になるんですね!


不可能を可能にしていくには、ひとつのブロックを片付ければ良いかもしれないし、たくさんのブロックを片付ける必要があるかもしれない。
でも、確実に、不可能から可能への確率が上がっていきます
私は、そんなセッションがしたい。
絶望を感じて、過去も未来も、現実さえもわからないとき、もしそこに光が差し込んだら…。
その絶望が、可能性という光によって、少しだけ掬い上げられるかもしれない。


そんなことを、強く思った夜でした。
みなさんにも、たくさんの可能性の光が降り注ぎますように。




*arcana*  Yuki