鳥居をくぐるとこんな感じで参道があり
右側、手前の屋根は手水舎
赤い鳥居は…

宇迦之御魂神うかのみたまのかみ
(私は…昔から…「うがのみたまのかみ」だと思っていたのですが、今回改めて調べたら濁点がついていないのが正しいようでした。)

参道を進んで…今度は左手に
白山神明神社。
左側をまた少し進むと
写真の右側が産霊神社、左側が秋葉神社。

本殿手前には小さくて可愛らしい
狛犬さんがいらっしゃいました。

何か違和感があるなぁ…と思っていたら
阿吽型の狛犬だとすると
左右の置き方が違っているような気がします。
向きも違ってるから、誰か置き換えたのかな。
ここは拝殿だと思われますが
その右脇に
尾の欠けた…つまり尾なしの龍が1体だけありました。

確かに尻尾が切れている。
拝殿の壁には狛犬2体の写真と
柱に絡みつく双龍の写真がそれぞれ
飾ってありました。
尾なし龍の話しとしては…
今から350年ほど前(加納城があった頃)
父親を亡くした「おはつ」という
足の不自由な娘がお宮さんで「木彫り龍」と楽しく遊んでいるうちに不自由な足も快方に向うようになっていました。
ある日、年貢を納められなかった母親が役所の牢につながれてしまいました。
「おはつ」は、足をひきずりながら加納の役所へ向かいましたが、境川の流れに巻き込まれ死んでしまいました。
これを聞いた「木彫り龍」は烈火のごとく怒り
口から火を出し加納城下を焼き払ってしまいました。
畏れをなした者は、龍が空を翔べないように龍の尻尾を切り捨てたといわれています。
噂では…
拝殿にあった写真の、木彫りの双龍は
拝殿の奥の鍵がかかった部屋にあるとのこと。

鶉田神社由来によれば
天武天皇 第三皇子 一品舎人親王の孫
権中納言式部卿 秀重 宝亀2年(771年)
鶉の森を開き鶉郷と名付け
鎮守の祠を建てて素戔嗚尊をお祀りしたのを
始めとする。
なので御祭神は素戔嗚尊さま。
書かれているのをかなりざっと要約すると…
・弘安4年(1281年)皇室より狛犬を下賜。
(今回、私は写真には撮っていませんでしたが、拝殿の両脇にあったようです。拝殿にある写真は下賜された当時の狛犬か?)
・明治維新までは牛頭天皇社(お天王さん)と呼ばれ
親しまれていた。
・慶応4年(1866年)神仏分離令にて鶉田神社となる。
・明治6年岐阜県より郷社と格付けされたが
戦後は宗教法人令により格付けはなくなる。
とのことでした。