深夜のヒトリゴト | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

先々週末から実家滞在中です。

先週は風邪が酷くて仕事に行けず、そのまま有給休暇消化突入でフェードアウト。

あの職場を辞めたのは正解だと思ってる。
限界だったし。

それでも、子供たちへの未練は残ってるし、ごめんねって気持ちもある。
仕方ないと分かっていても。

直に新しい職場がポンと決まったことはラッキーだったと思ってる。
殆んど苦労もしてないし。

でも、早々に大変そうだって事が分かり結構滅入ってる。
ゆるくのんびり働くはずだったのにな。

今や実家のワンコ依存症の私は、3日以上会わないと淋しくてたまらなくなってしまってる。

風邪がなかなか治らず身体も気分も重いというのもあるのだろうけど、始まる前から予期不安だらけで全部投げ出したい気分。

いつになったら安心して生きられるんだろう。
毎日が楽しいなと思って生きられるんだろう。

楽しく生きていた時もあったはずなのだけど、それ以上に大変だったことの方が多くてネガティブ思考になってしまう。

どうにかなるさと思えていた自分は何処に行っちゃった?

今日がずっと続くといいのに。

毎日毎日不安を抱えて生きていくのはしんどくて。

って、それって結局自分が弱いってだけの話しなんだけど。

でも、やっぱり近くに「大丈夫だから任してよ」って人がいるかいないかで違うと思う。

一人じゃないけど孤独なんだよな。
一人じゃないんだから孤独ではないはずなんだけど。

心の中にぽっかり開いた穴はどうにも塞がらない。

すっかり芯が抜けてぐにゃぐにゃ精神になってしまった私。

強く生きている人を見ると自分に幻滅する。

風邪が良くならないんだけど、このご時世だから気楽に病院にも行けず、正直新型コロナだったらどうしようかと不安になったんだけど、それは99%あり得ないわけで、そうなると背中痛い感じもするから肺がんかなぁとかって思考が飛んだりして。
そんなこと口にしないけど。

具合が悪いと、もし自分の余命が僅かだってなったらどうしようか考えるんだけど、ついこの前までは、それならそれで全部処分してほぼ身ひとつで去っていけばいいやと思ってた。

やり残したこともないし、やりたいこともないし。

でも、今は、ワンコと離れるの嫌だなと思ってる自分がいて、そんな自分が滑稽過ぎて呆れてたりする。

疲れちゃったからもういつ死んでも未練ないやと思ってたのに。

マジで目に入れても痛くないくらい可愛くて仕方なくて、それだけが未練になるだろうなと。

なんだかな。
笑っちゃう。

だーさんがいなくなってしまった時は、辛くてもう生きてくのも疲れ果てて明日死んでいたらいいのにと思っていたけど、その辛さは薄れてきてて、あの頃が夢か幻かと思う事も。

存在を消したくなくて今も共に暮らした場所にいるし、処分出来ずにいるものだらけで矛盾してるのだけど。

だーさんは、今の私を見てどう思ってるのかな。

あの世で安心して暮して下さい、とは言えない自分が情けない。

と、打っていたら、隣で寝ていたワンコが突然起きてワンワン吠えたよ。

すぐまた寝たけど。

深夜のヒトリゴトはこれでおしまい。

また明日が来るよ。