19回目の月命日 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんばんは。

今日は雨模様。
雨の月命日です。

最近色々思う出来事があり気分は低空飛行です。
仕事の時は普通にしていますけど、結構しんどいです。

池袋と神戸で交通事故がありましたよね。
亡くなった母子、若い男女がそれぞれ犠牲になりました。

テレビだったか。
神戸の事故で女の子に駆け寄り手を握り「頑張れ」と声をかけた男性が、女の子の「何で?」という声を聞いた気がする、と言っていた話しを聞きました。

そうだよね。
数秒前までは何ら変わらない日々を送っていたのに「何で?」だよね。

『「何で?」という思いで亡ったら魂はどうなるんだろう。だーさんも「何で?」って思ったのかな?』

そんなことを考えます。

だーさんもまさか自分が死んじゃうとは思ってなかったんじゃないだろうか。
ちょっとはどうでもいいやと勢いでやったけど、後悔したんじゃないだろうか。
「やっちゃった」って思ってるんじゃないだろうか。

なんら落ち度がないのに死ななきゃならなかった人らの無念さに胸を痛め、魂が迷子になりやしないだろうかと案じ。

残された家族の無念さに心を痛め、悲しみを案じ。

唐突に愛する人を喪う事は辛く苦しい。
胸が痛い。



私はあの日、ちょっと怒ってた。
仕事が休めないのを分かってて仕事行くのかって聞かれたことに。
また死ぬ死ぬ詐欺だろうって思った。
またODか、って思ってた。

旦那さんがうつなどで色々苦労しているブロ友さんの記事を読むと、「ああ、うちも同じようなこと言っていたな」「うちもそうだったな」って共感することが多々あります。

どれだけ理解してあげようと思っていてもイラっとしてしまうこともあります。
またかよ、って思ったりします。

だーさんが生きていたら、私は今もここで愚痴を溢していたでしょう。
色々苦労もしていたでしょう。

その愚痴もなくなり苦労もなくなった今、私は幸せなのか?と言ったら幸せではありません。

それでも残された者は生きていかなきゃいけない。

心に深い傷を追った人はみな考えるのでしょう。

幸せとは何だろう

と。


※混在した様々な思いを吐き散らかしたから内容もとっ散らかっちゃいました(たぶん)