少し前に誰かに聞かれたんだ。
場末のいい飲み屋って知ってますか、ってね。
そう聞かれて思い出したんだ。
だいぶ昔だけど、亡くなった親父の行きつけだった店。
”春見”っていう店なんだけど。小料理って暖簾には書いてあるんだ。
家業の運送屋に入って、親父とは初めての飲み屋だった。
もともとは銀行マンだったんだよ。そこのオヤジさん。
離婚してシングルファーザーになったもんで脱サラして始めた店だって。
俺の親父が脳梗塞で倒れて、いろいろと落ち着いて、だいぶん間を空けていった時に教えてくれたんだ。
シロちゃんがね、ってそのオヤジはヒとシが区別のつかないんだ、俺の親父と一緒さ。
潮干狩りって言ってみろ、って言うと、シヨシガリだって。。。
オヤジは俺をヒロちゃんって呼ぶんだ。
でもシロちゃんになっちゃうんだよなぁ。。。
で、ひとしきり自分の身の上話を聞かせてくれたあとにこういったんだ。
シロちゃんがアメリカに行ってる間ね、毎日『ウチのセガレは、サンデエゴってぇとこで、勉強してんだ』って、そうやって自慢してたよシロちゃん、、、あの親父さんがさ・・・ってね。
泣きながら語り始めた日にゃ、手こずったな。
ありがたいやら、照れ臭いやら、、、
カウンターの中のオヤジさんは店を閉める頃合になると、常連の奢り酒を受け始める。
11時過ぎくらいかなぁ。。。
12時に暖簾を下げるころにはベロンベロンになってて、
自慢の息子の愚痴を零し始めるともう止まらないんだ。
そうなったら料理はそこまでで。それから先は酒しか頼めない。
でも勘定書きには載らないから文句も言えないんだよ。
金目の煮付けが上手で、そうだなぁ、当時で1500円で肴が2~3品と、ビールか徳利の酒でいい気分になれるくらいな感じの場所なんだ。
カウンターの一番奥の席は不動産屋のスーさんの席。
町の隅から隅まで事情を知り尽くしてる爺さんだった。
スーさんに『おう、じゃ、お先にな』って声をかけられるようになったら、常連認定。
店を開ける5時より少し早い仕込みのころから飲んでるんだ。
6時ころになると、そう言ってスーさんは店を出て夜の町を徘徊するんだ。
でもその後には誰も座らない、永久欠番みたいな席なんだな。
常連ってのは、だいたい近所の桶屋の爺さんに、鳶の頭、市役所の勤め帰りの役人さん、
資生堂の販売会社の連中、地元の信用金庫の職員、出勤前のスナックのおばちゃんに、ゲイのお姉さん、
時々近所のスナックのママも立ち寄るんだ。
『お稼ぎなさい』ってのが、この業界の挨拶だと学んだのはここだった。
親父が亡くなって、しばらくしてオヤジさんに店の名の由来を聞いたんんだ。
そしたら、『俺の名前』だって。しけた面した飲み屋のオヤジが春見だって、、、
たしか、オヤジのおふくろさんが風流な人で、人生いつでも春が見つかるようにって
そうつけてくれたって言ってたなぁ。。。
ちょっと、意外だった。
いろいろと、詰まった店だったけど、悲しいねぇ。。。
街の再開発で無くなっちまったよ。
俺らの歳だと、昔の小さな落ち着ける場末の飲み屋なんかはさぁ、、、
場末だけど一生懸命に旨い物を出そうとする勢いのある店に押されて、
無くなっちゃうんだよねぇ。。。
今日の〆
あぁあ、オヤジもう死んじゃったかなぁ。。。。