8月1日が近い。
1981年8月1日は音楽の歴史に残る一大事があった。
MTVの開局の日だ。
81年は、自分にとっても特別な年だ。
3月27日。
アメリカ留学へ飛び立った年でもある。
あの成田闘争の末に出来上がった場所からというは
なんとも皮肉だ。
三里塚は、我が原風景だった。
まずはじめに驚いたのは
銃社会を実感したことだ。
81年3月30日。
時の米レーガン大領領暗殺未遂事件が起こった。
81年、日本じゃできない多くの経験があった。
宿無しの日本人に寝場所を提供してくれる女学生がいた。
リビア人のルームメイトは真面目だった。
気前よく、大麻を振舞おうとするルームメイトは
17歳で数学の修士課程、奨学金を貰う孝行息子だった。
洒落たステューディオでフランス人と同居した。
月100ドルでプール、ジャグジー、サウナ付きの豪華なコンドに住んだ。
図書館、授業、波乗り。残った時間はバイトと勉強だ。
ハリケーンの中で波乗りをした。
出会い、そして別れた。
81年とそれからの2年間は…
今でも人生の 3/生きる時間 を占めている。
一秒たりとも無駄のない時間だった。
記憶の中の特別なシェルターの中にある。
浮世の義理を言い訳に
出会いに背を向け、
挑戦から逃げ出し、
現実に戻った。
リスク無くして、得るものはない。
リスクを背負ってこそ、手に入るものがある。
人間、皆それぞれに浮世の義理を背負っている。
時としてそれは、進むべき道の障壁になることがある。
進むべき道を行くには
浮世の義理をぶった切るリスクを負うことがある。
勇気を持って先に進むか。
賢者ぶって道から目を背けるか。
選択の自由は自分の中にある。
浮世の義理を言い訳にするのは
卑怯者の臆病者だ。
LAオリンピックの準備をする空港は
人生の分岐点だった。