覚えてますか?

もしくは知っていますか?

 

1980年12月8日、

NFLのMNF放送中の臨時ニュース。

世界の一大ニュースを最も早く伝えたのは

ハワード・コーセル。

ニュースキャスターではなくスポーツキャスターでした。

 

 

その一年前、1979年には

ハワード・コーセルがジョン・レノンにアメフトに関する

印象とビートルズねたをインタビューしたのですが

翌年の1980年12月8日。

マンデーナイトフットボール放送中に

悲劇のニュースを伝えることになります。

 

”Yes, we have to say it. Remember this is just a football game, no matter who wins or loses. An unspeakable tragedy confirmed to us by ABC News in New York City: John Lennon, outside of his apartment building on the West Side of New York City, the most famous, perhaps, of all of The Beatles, shot twice in the back, rushed to Roosevelt Hospital, dead on arrival. Hard to go back to the game after that news flash, which in duty bound, we have to take. Frank.”

 

こう伝えたのは名物スポーツ・キャスター”ハワード・コーセル”。

癖の強い、アクの強いコメントで超有名なコーセルでした。

選手であろうと、解説者のコメントであろうと時として慇懃無礼な口調で遠慮なくぶった切る。そんな、彼が奇しくも伝えたることになったこのニュース。

 

最後の人名の”Frank”とはフランク・ギフォード。

NFLニューヨーク・ジャイアンツでプレーした選手であり、27年間MNFの中継を勤めたスポーツ・コメンテイターで、癖の強いコーセルとのバランスをとるかのように落ち着いたトーンの解説が有名です。MNFボール中継の名物コンビのでした。

 

 

 

ニュースの内容は・・・

 

コーセルらしく

『こんな、どっちのチームが勝とうとがたかがフットボールのゲーム中にお伝えする悲劇のニュースです。ジョン・レノンが背中を2発打たれルーズベルト・ホスピタルに緊急搬送されるも到着時には絶命していました。このニュース読んだ後にゲーム中継に戻るという因果な商売です。フランクどうぞ』

こんな感じで全米を震撼させたわけです。

 

クールな解説のフランクが答えていわく、” Indeed it is.”

赤塚不二夫先生なら『これでいのだ!』と訳すところだと思いますが語弊やら

バッシングを恐れるとして一応ここは『まったくです』くらいな感じにしときましょう。

 

 

この全米・・・のみならず、全世界が凍りついたニュースをおそらく世界で最も

早く伝えたのが当時のアメリカのテレビネットワーク”ABC”でした。

それも、NFLのマンデー・ナイト・フットボール(MNF)放送中のことでした。

 

シーズン第14週のNFL(この時代では既にシーズン全16週になってます)

ニューイングランドペイトリオッツ対マイアミドルフィンズ戦。

1966年以来、ドルフィンズのホームゲームでは負けっぱなしのペイトリオッツ。

果たして雪辱なるか?といいう感じに盛り上がるゲームでした。

状況はペイトリオッツが、第4クォーターでボールコントロールで3秒を残してフィールドゴールを狙う。13-13の同点に持ち込んで勝敗はオーバータイムに・・・という

そんな緊迫の状況での出来事でした。

試合結果は、せっかくオーバータイムに持ち込んだペイトリオッツでしたが

13-16で負けたました。

 

 

 

どうしてこのニュースがアメフトのゲーム中に???

 

 

アメフトファンなら知っているお話ですが、これは

ツイッターはもちろん、インターネット環境も無く、まだスポーツ専門チャンネルも

無かったと思いますし、携帯電話も無い時代のお話です。

 

NFLのシーズンゲームは普通日曜日に行われます。

日曜の放送は各地方ごとにゲームカードが異なります。

当時28チームのフランチャイズがありましたので

それぞれの地域にあわせて中継するマッチアップが違うわけです。

 

ところが月曜の晩。ブルーマンデーを乗り切って仕事で疲れたお父さんたちが

楽しみに待ち焦がれるゲーム。

全米に中継されるのがこのマンデー・ナイト・フットボールです。

この日は1試合だけが行われるので、全米がこの一試合に注目するわけです。

NFLのプレーヤーなら誰もがあこがれる檜舞台です。

 

 

ジョン・レノンが暴漢に撃たれて死んだという事実。

なぜ、ABCだけがこのニュースを他社に先駆けて伝えることができたか?

それは偶然の結果なんです。

 

どういう偶然かというとABCのプロデューサーがたまたま自転車事故でルーズベルト・ホスピタルにいあわせて、彼の隣に横たわる殺害されて男がジョン・レノン

であると警官の話を聞いちゃった・・・ということだそうで。

『果報は寝て待つ』のではなく、『自転車を漕いで待つ』ということになりますでしょうか?

*おっと、”果報”とは不謹慎にも無神経な表現でした。

『訃報は寝て待て』・・・これでも問題あるなぁ・

とにかく、どこで何があるかわからないということです。

 

 

 

 

残念ながら、その日は留学の準備に追われていたのと

友人達が開いてくれた気の早い歓送会で

ニュースを知ったのはだいぶあとでした。

 

 

翌年の1981年10月9日ジョン・レノンの像がLAに。

彫刻家Brett Livingstone Strong(ブレット・リビングストーン・ストロング)作。

重量約3トン、制作費75,000ドルの像は、誰かが買い上げてLAに寄付してくれるのを期待して1年間の予定で設置されたのですが3年間買い手がつかず、日本を含む全世界にオファーしたところ1988年にオーストラリアのRock Legends Ltd が1億ドルで購入。2010年には2億ドルで再び売りに出されたという記事を読んだことがありますが、どうなったんでしょう??? 

ちなみに10月9日はヨーコ・オノさんによって”International World Peace Day”と

設定されたそうですが。事の真偽は定かではありませんので興味のある方は調べてみてください。

一応、像の設置当時留学中でしたのでサンディエゴから大枚のガソリン代をはたいて観てきましたが、写真が見つかりません!!

 

そんなわけです。