♪サ~ンフランシスコのチャ~イナタウン♪

NFLのSF49ersのチームカラーを意識した配色のタイトルのつもりです。

霧の都といえばロンドンですが、サンフランシスコの霧も有名です。

 

49ersのホーム・フォールドだったキャンドルスティック・パークでは

ゲーム中に湾から押し寄せる霧で視界ほぼゼロになってしまうことが

多々ありました。

老朽化によって、今は無き懐かしのフィールドになってしまいました。

かの有名なNFLの伝説のプレー『ザ・キャッチ』(QBモンタナからWRクラーク

への逆転タッチダウンパス)と、野茂秀雄さんが初登板した球場として

深い印象があります。

 

 

キャンドルスティック・パークの名前の由来が

Wikiではサンフランシスコ湾のキャンドルスティック・ポイントにあるからで

キャンドルスティック・バードが多数いたからだとありますが

私の記憶では、スタジアムの照明のスタンド部分が長く

点灯すると蝋燭の灯火のようだったからとも聞いたことがあります。

もちろん、古いNFLのゲームフィルムの中でですが。。。

アメフトファンとしては、こちらの由来のほうが

ロマンチックな気がして好きです。

*写真、右上の照明です。

 

もちろん、チャイナタウンも有名ですが、、

 

 

 

サンフランシスコのちょっとした思い出

 

”I left my heart in San Francisco”ですが

この曲に関するちょっとした、トリビア・・でも有名な話です。

邦題が二つあります。

一つはこの『霧のサンフランシスコ』

 

 

サンフランシスコに多少の思い出があります。

アメリカ留学生活の第一歩を踏みしめたのは

サンフランシスコ空港でした。

フルサイズのスーツケースをころがして

紙袋に入ったビンをラッパ飲みするホームレスを横目に

ダウンタウンのグレイハウンドステーションまで。

週末の早朝、スーツケースのホイールの音を響かせながら歩いたっけ。

グレーハウンドのステーションの公衆電話から当座の宿探しの電話をした。

運よく一件目のモーテルに空きが合った。

ラッキーだった。

なんとも、無鉄砲な留学生活の幕開けの地だった。

 

 

サンフランシスコで出会ったアリス

サンフランシスコはGAYの町としても有名でした。

 

入学の準備で1クォーターをUCDavisの語学コースで過ごしました。

だいぶ慣れたころ、一泊でサンフランシスコ見物へ。

自転車で町のどこへでも行けてしまうデイビスとはちがって

どこと無くヨーロッパの香りの漂うサンフランシスコでした。

お洒落な坂の町というのは本当だった。

フィッシャーマンズワーフにケーブルカー。

チャイナタウンに夜はディスコ。

ディスコではグアテマラからの留学生アリスと意気投合。

友達にメキシコ人留学生がいたので

スペイン語訛りの英語を話すことが結構うまかったせいか

メキシコ人と間違えられた。

日本人であると話すとさらに高感度アップだった。

ラッキ~・・だった。

 

 

 

 

♪サ~ンフランシスコのチャ~イナタウンのオ・ヤ・ジ♪

 

その後は。。。チャイナタウンのレストランで食事。

店主の親父さんが名物キャラらしく、

日本人とみると『イマ』だけで用件を済ませていた。

席へ案内するときに『こちらへ』の代わりにイマ!

テーブルで椅子を引いてくれるのだが、そこでもイマ!

メニューを持ってきてオーダーを採るときもイマ!

どれがお勧め?と訊くと指差しながらイマ、イマ、イマ!

料理を運んでくればイマ!

皿を下げるときはイマ?

チェックプリーズ!に答えてイマ!

日本語会話でこれほどイマ!が有効だとは感じたことは無かった。

ちょっといかつい顔に不似合いなスマイルで勢いよくイマ!

独特の雰囲気を醸し出していた。

出川イングリッシュ並みの破壊力だった。

『Now!』ではなく、『イマ ! 』なのところに彼なりのリスペクトや

気遣いを感じられて好きだったなぁ~。。。

 

 

そんな懐かしい町、サンフランシスコなのでした。

アリスとはその後・・・また別の機会にします。

 

 

もう一つはこのような『想い出のサンフランシスコ』

 

 

なにがちがうかというと

トニー・ベネットが歌うと『霧のサンフランシスコ』で、

彼以外の人が歌うと『想い出のサンフランシスコ』なんです。

 

ちょっとした紆余曲折があって1962年にシングルのB面として

録音したのですが、『A面不発でB面大ヒット』のパターンです。

ちなみにA面は『Once Upon A Time』というタイトルでした。

それ以来、多くのビーグ・ネームがカバーしていますが

トニー・ベネットの持ち歌として認知されています。