クリスマスということで

 

不信心者な私なのですが・・・

 

何を信じるのであれ、一途なことは美しいと思います。

 

流石に、

 

『僕って不信心者じゃないですか~!』

 

ってのは採り入れがたいので。。。

 

 

 

ただ、『人を想う』と言うことについては

 

少し考えたことがあります。

 

 

恋愛の最も究極の形は『片想い』だと思っています。

 

理由は考えてみてください。

 

それぞれの解釈があっていいはずです。

 

 

私は、決して世に出ることの無い

 

ある作家さんが書いた詩の中の

 

このフレーズにずっと恋焦がれています。

 

 

『●●●の、●●●●●●●●瞳を・・愛しています。』

愛とは、愛する人の幸福だけを願うこと。

 

だれにも教えたく無いのでやっぱり伏字にしちゃいました。

 

 

 

本当に想っている人に

 

容易く声なんて掛けられません。

 

何度もすれ違って、何年もたって

 

何かのきっかけがあって、

 

ようやく少しだけ

 

近くに寄ることができる・・・

 

 

 

勇気がないわけじゃないんです。

 

心の無いナンパならいくらだってできます。

 

 

英語なんか屁でもないので

 

英語を解する限り、外人の女子だって

 

平気でいっちゃいます。

 

ただ、後でワイフにローキックの末に

 

ウェスタンラリアットで止めを刺される

 

覚悟がいりますけど・・・

 

 

でも、本当に想う人にだけは

 

声をかけることができないんですよ。

 

そういうものです。

 

何故か???

 

それは自分なんかが声をかけてしまって

 

その人に自分が関わることって、

 

その人にとって幸せなんだろうか???

 

などと、考えてしまうからです。

 

 

つまり、それほどに『想う』ってことが

 

『好き』ということなんですよ。

 

そう思います。

 

 

 

それほどじゃない、軽いやつは

 

相手の方を好きなんじゃなくて

 

相手の方によって幸福になることができそうな

 

自分が好きなんじゃないか???と、思います。

 

 

私は、神を信じるわけでもなく、

 

頑なに無神論を唱えるものでもありません。

 

 

ただ、神様に会ったこともないし、

 

見たことも無くて、正直感じたことすらないので

 

どうしてよいのか分からないのです。

 

 

よく、悪魔が殺傷した生き物の数よりも

 

神が殺傷した生き物の数のほうが遥かに多いって

 

したり顔で解説する人もいるし、

 

 

人間の歴史のなかで

 

人殺しや戦争を生み出した原因の

 

もっとも主たるものが宗教だと考えるので

 

偉大なる神がいるのだとしたら

 

『神は、平和がほしくば宗教を捨てよと言っている』という

 

宗教があってよいのではないかと、、、

 

それなら、少しは耳を貸す気になるかもしれません。

 

 

 

私は

 

『神』とは人の中の良心であり

 

『悪魔』とは人の弱き心を

 

意味するのではないかと考えています。

 

 

まあ、どうでもいいんですけど

 

人を『想う』ということを

 

少し、真面目に考えたほうが良いと思うと言う

 

お話でした。

 

クリスマスなんだから・・・ということで。

 

 

この歌詞のようなことを想う人って素敵だと思います。