『自己を知る脳・他者を理解する脳』
を読んでいます。
第1章は、
「アレキシサイミア」
についての特徴がよく分かる内容でした。
自己及び他者の論理的・感情的思考を感じとるのが難しいこと、
その理由は、メタ認知(第三者の視点で自己及び他者を見ること)が出来ないためであること、
などが、脳科学の観点からも説明されていて、すごく分かりやすいものでした。
また、メタ認知が出来るようになるには、
一人称の視点から三人称の視点に移行することが必要なので、
例えば、ACのように、親の感情を自己の感情として捉えるのが慢性化すると、
親以外の他者の感情も同じように自己の感情として扱ってしまい、
一人称から脱出出来ない状態になる
と考えると、ACの抱えている問題を改めて納得することができました。
さて、本題。
心の理論とくれば・・・
有名な「サリーとアン」の『誤信念課題』について、
『誤』の意味を、この本を通して初めて知りました。
ここで、「サリーとアン」のお話をサクッとおさらい。
始めに、サリーとアンが同じ部屋にいて、
サリーは、持っていたビー玉をかごの中に入れてから部屋を出ました。
そして、アンは、そのビー玉をかごの中から箱に移動させました。
そのあと、部屋に戻ってきたサリーはビー玉で遊ぼうと思いました。
さて、サリーは何処を探すでしょうか?
答えは、
かご
なのですが、この思考が取得できるのは4才頃で、それまで、そして、ASDの方は、
箱
と答えてしまうそうです。
私は、この課題について、「箱」と答えてしまうのは、
「ビー玉の現在地を聞かれている」と質問の意図を間違って解釈しているから
だと思っていたのですが、それだと、この課題タイトルにあるように、
『誤信念課題』
「誤」の辻褄が合わなくなってしまい、
ずっと、何が言いたいのか疑問でした。
何故ならば、サリーは、かごにビー玉を入れた記憶しかないし、アンが移動させたことも知らないのだから、
それが、どうして「誤り」となるのか?
と思っていたからです。
しかし、この本にはそのことがキチンと解説されていました。
「『人間というのは勘違いをしていて、間違うこともある』という、人間の心のはたらきに関する原則を知らなければならない」
と、これまた、左脳的文章で書かれていますが(笑)、
これを右脳的表現に置換すると、
「『人間ですから、間違うこともある』、世の中そんなもんですよ♪」
こんな感じでしょうか?
つまり、この課題で言いたかったことはこれなので、だから、『誤信念』とタイトルが付けられていようです。
確かに一人称の視点からすると、
「誤りはない」
のですが、
三人称の視点からすると、
「自分が不在の間に何か起きた可能性があるので、必ずしも『知っていること=正解』ではない」
ということを認識しておきましょうということなのだと思いま。
でも、私からすると、それだと、この問題の質問が
「サリーは何処を探しに行きますか?」
ではなく、
質問というよりは、4コマを通して
「世の中、色んなことが起きますよ!」
という教訓型にしてくれた方が理解しやすいのですが・・・
プロの心理学者の皆様、
ご意見をお待ちしております(笑)。
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