☆アダルトチルドレンの思い出☆
先日、もう会社に行けないと思ってしまったのは、
小さい頃のことがトラウマになっているからではないかと思う。
あの時、
その少し前に、上長から私の仕事について、ある非難があった。
私が処理した内容は、上長からもある一定の評価はあったものの、
上長の勘違いで、私が実際にやっていないことを、やったと思いこまれ、
残業して無駄なことをしている
と言われたからである。
上長が、その勘違いをしたのは、上長ご自身の多忙が慢性化していて、余裕がなかったためだが、
それでも、私は、そもそもそんな無駄なことはしないし、
私が本当に何をしたか直接確認もしないで、言いがかりをつけられたことに腹がたったけれど、
上長の多忙は、会社組織に問題があるので、
上長に追い討ちをかけるのは、どうしてもできなかった。
もし、あの時、
私がやったことの意味を、きちんと説明できていたなら、
辞めたいというスイッチは入らなかったと思う。
この上長の下で、これからもずっとやっていけるだろうか?
上長の言うことに、不満を抱えたまま従いつつ、自分の思うところは、コソコソと目立たないように上手くやる
そんなことが、続けられるだろうか?
私だって、どうすれば上長が少しでも楽になるか、作業が進めやすいかを考えてやってきたことなのに。
残業や持ち帰りで、やっと起動にのる目処もたったのに。
急に何もかも、もうどうでもよくなった。
今回のポイントは、
その場その場で、気持ちを伝えたり、気持ちの整理が出来ていない
というところではあるが、
この、
どうでもよくなった
これは、小さい頃からよくあったことだった。
母は、いつも、
私の感情を無視した。
母の勝手な想像で、現実を見ようとせず、
母の言い分ばかり押し付けられた。
時々、母は怒りの表情で、私に、
私がどう思っているか?
と問い詰めることがあった。
なかなか答えない私に、一層母のイライラがひどくなった。
当時の私に知る術はないが、そもそも、その質問自体、私に答えられるものではなかった。
何故なら、
どう思う
という思考が出来ない環境にいたのだから。
何とか、母の気に入る答えを口にはしたが、
もちろん、私は何も納得していない。
いつも、私の好きなこと、やりたいことが伝えられない。
いつも誤解されたまま終わってしまう。
外でも、似たようなことが時々あり、
その度に、
この人も、勝手な思い込みで私を責める
離れたい
そう思うようになった。
サボるのは悪いことだと分かってサボり、
それを責められる方が余程マシなのではないか?とさえ思う。
世の中の大半は、きっとそうなのだろう。
身を粉にして働く・・・という時代でもない。
だから、ちゃんとやったのに、認められるどころか誤解されて嫌な思いをするなんてことがないのだろう。
テキトーにやって、間違ったら、それ相応の制裁はあるが、飄々と流しながら上手くやっている人が多いのだろう。
私の場合、サボるという概念も薄いし、ある時から、
気付かれないところで、
皆に追い付け、追い越せるように努力して、
気持ちの余裕が全然ない状態のとき、
何故か誤解されて、
私の一生懸命な気持ちの糸が切れてしまう。
小さい時から、ずっと思っていた。
私は、人より何もかも劣っている。
だから、少しでも皆より前にいないと、ものすごく遅れてゴールすることになる。
隠れて努力しないと、対等ではいられない。
けれど、この
隠れて
というのが、社会人になってからの誤解に繋がっているのではないだろうか?
ジョハリの窓でいうところの、隠蔽にあたり、
自分で隠しているのだから、他者が気付くのは難しい。
この仕事は、私には不向き
例えば、実際に、私が誰かを仕切ったりする仕事は難しいので、
そういう仕事は、私には任せられない
と思われる方が、もっと楽に生きられる気がする。
これからも、出来るところまで努力はするけれど、
私の限界点は、ここであるという私自身の理解や、
ここまで出来たから、それで良しと納得する、
そういう思考が出来れば良いのではないだろうか?
そうすれば、無理な努力をして、挙げ句誤解されて、気持ちが切れてしまうことも無くなるのではないだろうか?
たぶん、私のそういうガツガツしたり、キチキチした働き方が、気に障る人もいるので、
何故、そんなにガツガツ・キチキチするのか?
が分からないから、誤解されることもあるように思う。
そして、今まで抑圧されていた、
他者に対して、
自分がどう思う/どうしたい
更には、
相手にどうして欲しい
と伝えることが出来たら、もっと生き易くなるのだろうと思う。