自分は、ある時期から、
強迫性障害
ではないかと思うようになった。
おかしいと感じたのは、仕事上での出来事だ。
数字の桁や、似たような数字(例えば、2と3など)を見間違ったり入力し間違ったり、文章を入力し間違ったりすることがあって、
周りの人は、それほど間違わないのに、自分は、何故間違ってしまうのだろうか?と気になってしまった。
仕事は、ミスしないのが当たり前なので、その内、何度も見直しする癖がついてしまった。
その内、何度見直しても合っている気がしなくてなってしまった。
そして、それは仕事だけではなく、ドアの施錠確認や、ガスの元栓、消灯確認まで広がってしまった。
でも、たいていは正しく処理できていることが多い。
その後、ある専門学校に通ったのだが、その時も、テストで何度も何度も見直したりすることがあって、
その行為を色々と調べるうちに、その障害の名前に行き当たった。
その学校に通ったのは、ある国試を受けるためで、試験本番でその症状が出ると困るので、あるメンタルクリニックにお世話になった。
そこで強迫性障害の診断テストを実施したが、
ドクターからは、ややそのような傾向があるが、ひどくはないとの診断を頂いた。
今現在も、治っている訳ではない。
今、お世話になっているカウンセラーの先生にも相談したのだが、
例えば、2回確認したら次に進む
というように、自分で「大丈夫!」と思うようにすると良いとのことで、
仕事では、なるべくその方法を取るようにしている。
しかし、そもそも、これは強迫性障害ではないのだという気がする。
強迫性障害というのは、色々と話を見聞きしていると、
その行為をしないと安心出来ない
という前提で繰り返し行動をしてしまうのだと思う。
でも、自分の行動は、それを確認しないと安心出来ない
というよりは、
その行為を意識的に行っていないことが原因のではないかと思う。
意識的に行っていない、つまり、無意識ということになるのだが、
通常は、無意識で出来るというと、
例えば、車の運転に慣れている人は、今、この時点で確認すべきことや行動すべきことが、的確に出来るというように、
意識しなくても、正しく実行出来ているという実感を伴っているように思う。
しかし、自分の場合は、
無意識では行っているのだけれど、
正しく出来ている実感がない
ということなのだと思う。
つまり、
ある行動→確認→結果の判定
というふうに、一つひとつ、その瞬間での判断に対する注意力(フィードバック制御のようなもの)が欠けている
と言えるのではないかと思う。
では、何故そうなってしまうのか?
それは、その行動に対する、または、日々の生活自体に、
快の動機付けが無いからなのではないだろうか?
その行為そのもの、または、日々の生活の自体が、
・退屈
・つまらなさ
・恐怖
のように、快とは正反対だった場合に、
様々な行動において、正しく行動出来ていても、全体的にぼんやりした状態になっているのではないだろうか?
ならば、
繰り返し行動を止める動機づけになるもの、
早く次の行動へ移るための、快を得られる何か?
を持つことが出来れば、繰り返しを止められるのではないだろうか?