フェルマータ | アダルトチルドレン~いつか本当に籠の外へ~

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アダルトチルドレンになるまで、そしてアダルトチルドレンがゆえに生き辛いと思ってきたこと、
今がんばっていること、できるようになったことをたくさん書いていこうと思います。

☆アダルトチルドレンの思い出☆

楽譜に時々現れる、目ん玉のようなマーク、確かフェルマータという名前で、意味は小休止だったと思います。

他に、イタリア語では、バス停という意味もあったように思います。

今日、お仕事中に、初めて先輩からお誘いがあり、ちょっとおサボりして雑談の輪に加えてもらいました。

でも、悲しいかな。仕事の手を休めていることに、ちょっと、罪悪感を感じました。

それは、また後日解決するとして。

その雑談の中で、何となく感じたことは、

・話を切り出した人の、世界観を想像して、それを壊さないようにすること

が、大切なのかなと思いました。

平たく言うと、相手の話に合わせるとか、話に乗るということなのだと思います。

ろろみぃは、いつもそういう雑談の場で、うんちくとか、雑学的な「事実」を述べていることが多いです。

きっと、それがたまになら、「ろろみぃちゃんて、物知りだね!」なんて感心されることもあるかも知れないのですが、それが頻繁だと、理屈っぽく聞こえたり、面白くなくなるのかな?という気がします。

話し手の世界観=相手が感じたこと、だから、正しいか間違っているかではありません。

如何に、ろろみぃが、共感しているかを、言葉で即時伝えられたら上手くいくのではないかという気がしました。

子供同士の遊びの場では、自分の世界観を表現したり、相手の世界観を想像したり、相手の世界観に参加したり、ということが日常的に行われていて、その延長が、大人は雑談だったりするのではないか?、読書という場面では、小さい頃に養ったその能力=読解力ではないだろうか?という気がします。

もし、この考えが正しければ、人生の中で、ほんの束の間の幼児期において、同年齢の子供同士の遊びは、この先ずっと、嫌が応でも人との関わっていく上で、ものすごく重要な事柄なのではないかと思います。