それは、私は夫が死んだと思ってないのではないか、ということ。
思い込みたいのか、本当に脳みそがそう思ってるのか、もはや自分の感覚さえわからないのだけど。
もちろん、夫が死んだことは理解している。
でも、3年近く単身赴任で別居していたから、急に1人の生活になったわけでもなく、毎日連絡を取っていたわけでもないから、きっと赴任先で元気で忙しくしてるんだろうという感じ。
大きな生活の変化がないのだ。
ただ、誕生日やクリスマスなどのイベントや、ゴールデンウィークなどの長期休暇なんかは、あぁ…そうか、もう一緒に過ごす夫はここにはいないんだ、一人ぼっちなんだ、と思ってどんよりした気分になるけど。
泣き暮らすこともないし、自暴自棄にもならないし、ご飯も食べ、仕事にも行く。
自分は感情が乏しいのではないか、薄情なんじゃないか、夫を本当に愛してたのか、と思い悩むこともあったが、夫が死んだと思ってないからだと思い至った時は目の前が晴れた気がした。
いや、そう思うことで自分の薄情さを誤魔化しているのかもしれないんだけど。
さらに言えば、離婚したわけでもないし、なんなら生きてると思っているわけだから既婚のままだと思ってる。
夫の話も生きている時と変わらずする。
まぁ、話している相手が、私が死別したことを知らない場合もあるけど。
知ってる相手とでも、以前と変わらず夫の話をする。
語弊があるとは思うのだけど、私の感じ方としては、毎日一緒に過ごしていた人がある日いなくなってしまったり、お看取りをされたりなど『死』というものに直面した方は、大切な人が亡くなったという現実と毎日向き合っているのだと思う。
もちろん私も直面したわけだけど、喪失感を感じることは同居の夫婦と比べたら少ないだろうし、介護や看病をしながら死について考えていくこともなかった。
ある意味、死んだと思ってないから自分を保てているのかもしれない。
ここから遠い地で、相変わらず忙しくやってるんだろうと思うことが拠り所なのかもしれない。
そう、私の夫は死んでなんかないんだ。
こう考えることが、自分で自分を守る術なんだと思う。
私は毎日を生きている。
遠くで頑張る夫と共に。