Imag121119174359.jpg


そのあと、かぐや姫を育てた二人は泣き暮らした。

お世話をする方々がなぐさめても、

「こうなった身では命があっても仕方ない。」

と、薬も飲まず手紙も見ず病みふしてしまった。




頭中将は、かぐや姫から受け取ったものを帝に渡すと、激しく落ち込み、物も召し上がらなくなってしまった。


ある日、大臣上達部を呼び寄せ言った。


「どこの山が、いちばん天に近いだろう。」


大臣上達部は調べ上げ、報告した。


「駿河の国にあるという山が、天に近いと申します。」

帝は、歌を書いて渡した。

「逢ふことも涙にうかぶ我身には 死なぬ薬も何にかはせむ 」

意味は


君に逢うこともなき身は、涙に浮かび死なぬ薬も何としよう




これを、かぐや姫から渡された薬と一緒に壷に入れて遣いに持たせた。


遣いには、「つきのいわかさ」

という人を立て、それを
その山の頂に持っていく様に言った。


そして、山頂で、かぐや姫への手紙に不死の薬の壷をならべ、火をつけて燃やすように、と伝えた。


遣いは仰せを承って、兵たちを大勢引き連れ、山に登り、その通りにした。












いつしか、その山を

不死、「富士の山」と呼ぶようになった。




富士の山の煙りは今でも、雲の中へ立ちのぼっていると言い伝えられている。














1986年5月25日


大庭みな子の竹取物語/伊勢物語



より